昭和30年代〜40年代のテレビの修理屋さん|裏ぶたを開けた箱の中をのぞき込んだ午後
この記事の結論
- 部品が古くなると映りが乱れたり音だけになったりしました。
- この記事では「60代の時間軸」「テレビの修理屋さんを思い出す三つの手がかり」を扱います。
- 更新日:2026-09-18/対象:1957〜1966年生まれ/時代:昭和30年代〜40年代(1958〜1972年ごろ)。
映りが悪くなったテレビを直しに来てくれた町の修理屋さんを、居間で見守った場面から振り返ります。記録として確かめられる当時の受像機の形と、家庭ごとに違う修理の記憶は分けて並べます。

60代の時間軸
受像機が家に入り始めたころの暮らしは、NHKアーカイブスの放送史資料や国立映画アーカイブの記録映像から見当をつけられます。昭和30年代から40年代のテレビは真空管を使う受像機が多く、部品が古くなると映りが乱れたり音だけになったりしました。町の電器店が修理を引き受け、家まで来て直すこともありました。頼み方や来てくれる早さは地域や店で違うため、一つの決まりに寄せません。
映りが悪くなると、家の人が電器店に声をかけます。修理屋さんは道具箱を提げて来て、テレビを壁から少し離し、裏ぶたのねじを外しました。子どもは後ろからそっとのぞき込み、明かりのついた管が並ぶ様子を見つめました。部品を替えて画面が戻ると、家の人がお茶を出しました。
思い出すのは、裏ぶたの中から立ちのぼる温まったほこりの匂い、ねじ回しの金属の音、画面がゆっくり明るくなるまでの間です。
いまは機械が壊れると、店へ持ち込んだり買い替えたりする場面が増えました。当時は同じ店の人が何度も家に来て、家族の顔や機械の癖を覚えていました。直し方が変わったという話であり、優劣の話ではありません。
問いとして置きたいのは、修理屋さんが来た日、誰が付き添い、どんな言葉を交わしたかという点です。店の名前や人の名前は書かず、季節、時刻、部屋の様子だけを残せば、家族の記録として書き留めやすくなります。
テレビの修理屋さんを思い出す三つの手がかり
- 60代のテレビの修理屋さんにまつわる「場所」を一つ思い出します。家、学校、駅前、友だちの家など、固有名詞がなくても構いません。
- その場所で一緒にいた人と、音・匂い・手触りのどれかを一つ添えます。記憶が曖昧な部分は「たぶん」「覚えていない」と書いて大丈夫です。
- いまの自分へ一言だけ残します。誰かと話せる入口になれば、それで十分です。
思い出の問い修理屋さんがテレビの裏ぶたを開けた日、後ろから箱の中をのぞき込んだことを覚えていますか?
出典と編集方針
このページは、公開資料で時代背景を確認しつつ、特定の世代の体験を一つに決めつけない読みものとして編集しています。地域や家庭による違いがあります。あなたの記憶と違う箇所は、会話のきっかけとして扱ってください。