あアノコロ記憶のタイムマシン
50代 音楽

昭和58年(1983年)ごろのヤマハのDX7|楽器店の壁際で緑の配色のボタンを押して音色を呼び出したシンセサイザー

昭和58年〜昭和62年(1983〜1987年ごろ)のヤマハのDX7を手がかりに、楽器店やバンドの練習で触れたデジタルシンセサイザーの記憶を振り返ります。ヤマハのデザイン解説とシンセサイザー50周年のヒストリーで発表の年と仕組みを確かめ、ボタンの手ざわりや音色の記憶、今との違いをたどります。

昭和58年〜昭和62年(1983〜1987年ごろ)のヤマハのDX7を再現したイメージ。楽器店の壁際の台に置いた、濃い茶色の本体に緑の配色の平らなボタンが並ぶシンセサイザー。
昭和58年〜昭和62年(1983〜1987年ごろ)のヤマハのDX7を再現したイメージ。楽器店の壁際の台に置いた、濃い茶色の本体に緑の配色の平らなボタンが並ぶシンセサイザー。(イメージ)

50代の時間軸

ヤマハのデザイン解説によると、アナログシンセサイザーが隆盛を誇り、テクノポップのムーブメントの真っただ中だった昭和58年(1983年)に、ヤマハは革新的なデジタルシンセサイザー「DX7」を発表しました。ツマミの多いアナログシンセと鮮やかな対比を出すためにスクエアでシンプルな形を目指し、凹凸のないメンブレムスイッチを採用、スイッチを見やすくするために本体の濃いブラウンに映える明るい緑色を使ったそうです。この色は後に「DXグリーン」と呼ばれました。この記事は発表の年を起点にした回想の目安で、その年に多くの人の手元に届いたという意味ではありません。

シンセサイザー50周年のヒストリーによると、DX7は前の機種「GS1」の4オペレーター仕様に対して6オペレーターに進化し、本体で音色を編集でき、カートリッジに音色を保存できるうえ、価格は「GS1」のおよそ1/10になりました。アルゴリズムは32種類に絞り込まれ、16文字×2行の液晶ディスプレイで音色に名前を付ける文化も生まれました。本体には32個の音色を記憶でき、ROMカートリッジを使うとさらに64個を増やせました。プロが使う音色そのものをカートリッジで買えるようになったことは、アマチュアの演奏者にもとても魅力的だったと書かれています。

触れた場所は、楽器店の試奏コーナー、軽音楽部の部室、貸しスタジオ。音色を選ぶボタンを押したときの平らな手ごたえ、濃い茶色の本体に映える緑の配色、小さな液晶に浮かぶ音色の名前を覚えている人もいるでしょう。エレクトリックピアノのきらきらした響きや、低くうなるようなベースの音を、ラジオやテレビから流れる曲の中で何度も聴いた人もいるはずです。重い本体をケースに入れて運んだ肩の痛みを思い出す人もいるかもしれません。

DX7には、昭和57年(1982年)に発表されたMIDIが搭載されていました。ヒストリーは、MIDIシーケンサーで制御することで人には弾き続けられない速いフレーズも演奏できるようになり、80年代のダンス系やテクノ系の斬新なサウンドが生まれたと振り返っています。いまはパソコンやタブレットの中のソフトで、DX7のような音色を手軽に鳴らすことができます。重い機材をそろえなくても曲が作れる今とは、音を手に入れるまでの道のりがずいぶん違いました。

DX7を自分で弾いた人、バンドの仲間が持っていた人、名前は知らなくても音だけは耳に残っている人。DX7の思い出は、音楽とどれくらい近くで暮らしていたか、どんな町の楽器店に通えたかによってさまざまです。機材の型番より、その音が鳴っていた曲のほうを覚えている人も多いでしょう。あなたがDX7の音を初めて意識して聴いたのは、どんな曲、どんな場所でしたか?

ヤマハのDX7を思い出す三つの手がかり

  1. まず、50代のヤマハのDX7にまつわる「場所」を一つ思い出します。家、学校、駅前、友だちの家など、固有名詞がなくても構いません。
  2. 次に、その場所で一緒にいた人と、音・匂い・手触りのどれかを一つ添えます。記憶が曖昧な部分は「たぶん」「覚えていない」と書いて大丈夫です。
  3. 最後に、いまの自分へ一言だけ残します。正しい答えを作るためではなく、次に誰かと話せる入口をつくるためのメモです。

思い出の問いあなたがDX7の音を初めて意識して聴いたのは、どんな曲、どんな場所でしたか?

出典と編集方針

このページは、公開資料で時代背景を確認しつつ、特定の世代の体験を一つに決めつけない読みものとして編集しています。地域や家庭による違いがあります。あなたの記憶と違う箇所は、間違い探しではなく会話のきっかけとして扱ってください。