昭和50年代のドッジボール|内野と外野を分けた校庭
この記事の結論
- 球技が学校の遊びとして広まった流れをたどれます。線の引き方は学校や学年で違い、ここで一つの規則に決めません。
- この記事では「50代の時間軸」「ドッジボールを思い出す三つの手がかり」を扱います。
- 更新日:2026-09-10/対象:1967〜1976年生まれ/時代:昭和50年代〜60年代(1975〜1988年ごろ)。
休み時間の校庭で線を引いて始めたドッジボールを手がかりに、内野と外野を行き来した時間を振り返ります。学校に広まった記録と、地域や学年で違ったルールの記憶を分けて並べます。

50代の時間軸
確認できる背景として、国立国会図書館サーチや日本玩具協会の資料から、球技が学校の遊びとして広まった流れをたどれます。当てていい高さ、外野から戻れる条件、線の引き方は学校や学年で違い、ここで一つの規則に決めません。
記憶の場面では、地面に足で線を引き、じゃんけんで組を分け、内野の中央に立つか端に寄るかを最初に決めました。顔に当たったら無効という約束を、その日の顔ぶれで足したり外したりしました。当てられた人が外野へ回り、外野から当て返して戻る流れが、休み時間の終わりまで続きました。
手がかりになるのは、ボールが手のひらを打つ音、砂の乾いた匂い、体操着の背中についた土、逃げるときの足の速さです。校庭の隅か、体育館の中か、団地の広場か、線を引いた場所を一つ選ぶと場面が戻ります。
いまは安全のためにボールの材質や当てる範囲が整理され、指導も共有されています。当時は痛さの加減も含めて、その場の合意で決めていました。決め方が共有されているかどうかという違いとして比べられます。強い人と弱い人の差を、線の位置や人数で調整していた点も、いまと分けて考えられます。
思い出の問いは、いちばん長く内野に残った日と、最後に当てた相手です。学校名や実名を出さずに、ボールの色、線の形、休み時間の終わりを告げた音だけを残せば、自分の記憶として安全に残せます。
ドッジボールを思い出す三つの手がかり
- 50代のドッジボールにまつわる「場所」を一つ思い出します。家、学校、駅前、友だちの家など、固有名詞がなくても構いません。
- その場所で一緒にいた人と、音・匂い・手触りのどれかを一つ添えます。記憶が曖昧な部分は「たぶん」「覚えていない」と書いて大丈夫です。
- いまの自分へ一言だけ残します。誰かと話せる入口になれば、それで十分です。
思い出の問いいちばん長く内野に残った日と、最後に当てた相手を覚えていますか?
出典と編集方針
このページは、公開資料で時代背景を確認しつつ、特定の世代の体験を一つに決めつけない読みものとして編集しています。地域や家庭による違いがあります。あなたの記憶と違う箇所は、会話のきっかけとして扱ってください。
- 国立国会図書館サーチ
- 一般社団法人 日本玩具協会
- 編集確認日:2026-09-10。出来事の事実確認と、個人の記憶・感想は分けて記載しています。