あアノコロ記憶のタイムマシン
60代 街・暮らし

昭和52年(1977年)ごろのヤマハのパッソル|スカートのまま足をそろえて乗った商店街への買い物

昭和52年〜昭和56年(1977〜1981年ごろ)のヤマハのパッソルを手がかりに、原付が女性の暮らしの足になったころの記憶を振り返ります。ヤマハ発動機のヤマハヒストリーと年表で発売の年月と仕様、開発の考えを確かめ、軽い車体やエンジンの音の記憶、今との違いをたどります。

昭和52年〜昭和56年(1977〜1981年ごろ)のヤマハのパッソルを再現したイメージ。商店街の八百屋の店先に停めた、低い足もとの床と前かごのある、クリーム色の小さなスクーターと、野菜の入った段ボール箱。
昭和52年〜昭和56年(1977〜1981年ごろ)のヤマハのパッソルを再現したイメージ。商店街の八百屋の店先に停めた、低い足もとの床と前かごのある、クリーム色の小さなスクーターと、野菜の入った段ボール箱。(イメージ)

60代の時間軸

ヤマハ発動機のヤマハヒストリーによると、「パッソル」誕生の背景には、女性をターゲットとしたモーターサイクル需要の拡大という市場の期待感がありました。開発では、女性がスカートでも足を揃えて乗れる「やさしさ」がキーワードとなり、「ステップスルー」という新しいスタイルが生まれました。昭和52年(1977年)3月に発売され、680mmと低いシート高や全長1,515mm、重量45kgという小型・軽量な車体が特長だったと書かれています。

自転車と同様の前後輪ハンドブレーキ操作やオートマチック機構、一発でかかるキック機構も特長で、1リッター当たり75kmという経済性もあって“ソフトバイク”という新しいジャンルを定着させました。発売時には女優の八千草薫を起用し、「やさしいから好きです」のキャッチフレーズでテレビコマーシャルを流しました。スーパーやデパートで展示試乗会を開き、「ヤマハ原付免許教室」も開いたそうです。免許を取って買い物や習い事に乗っていった人もいれば、家族が乗る後ろ姿を見送った子もいました。

停まっていたのは、商店街の八百屋の前、団地の自転車置き場、駅前の駐輪場。キックペダルを踏み込むとエンジンがかかり、軽い排気の音とかすかな匂いが立ちのぼります。車体が軽く、押して歩くのも楽だったという記憶がある人もいるでしょう。夏の日差しで熱くなったシートや、ハンドブレーキを握るときの手の感覚、エンジンや駆動系のまわりが覆われていて服が汚れにくかったことを覚えている人もいるかもしれません。

ヤマハヒストリーには、パッソルの生産ラインが全員女性で編成されたことや、翌年に「パッソーラ」が発売されたことも記されています。いまは電動アシスト自転車や乗り合いのバスなど、近所へ出かける手段を選べる町も増えました。スカートのまま足をそろえて乗れる乗り物が新しかったころと比べると、街の移動の手段はずいぶん増えました。

自分で免許を取って乗った人、母親や姉の後ろ姿を覚えている人、商店街に並んで停まる姿を眺めていた人。パッソルの記憶は、住んでいた町の坂の多さや、家族の誰が外へ出かける役目だったかによってさまざまです。車体の色より、エンジンをかけるときの音を先に思い出す人もいるでしょう。あなたの家や近所でパッソルに乗っていたのは誰で、どこへ出かけるときでしたか?

ヤマハのパッソルを思い出す三つの手がかり

  1. ヤマハのパッソルにまつわる場所を一つ思い浮かべます。家、学校、駅前、友だちの家など、名前が出てこなくても構いません。
  2. そこで一緒にいた人と、音・匂い・手触りのどれかを書き添えます。曖昧なところは「たぶん」「覚えていない」で大丈夫です。
  3. いまの自分へ一言だけ残します。正解を書く欄はありません。次に誰かとその話をするときの入口になります。

出典と編集方針

このページは、公開資料で時代背景を確認しつつ、特定の世代の体験を一つに決めつけない読みものとして編集しています。地域や家庭による違いがあります。あなたの記憶と違う箇所は、間違い探しではなく会話のきっかけとして扱ってください。