あアノコロ記憶のタイムマシン
60代 街・暮らし

昭和38年(1963年)ごろの日清シスコのシスコーン|白い器のコーンフレークに冷たい牛乳を注いだ朝

昭和38年〜昭和42年(1963〜1967年ごろ)の日清シスコのシスコーンを、朝の食卓でコーンフレークに牛乳をかけた記憶からたどります。日清シスコの沿革と2025年のニュースリリースを読み、発売年とキャッチフレーズ、社名の移り変わりを確かめました。

昭和38年〜昭和42年(1963〜1967年ごろ)の日清シスコのシスコーンを再現したイメージ。朝日が窓から差す団地の食卓で、白い陶器の器に盛った金色のコーンフレークに冷たい牛乳が注がれ、横にスプーンとラベルのない小さなガラスの牛乳瓶、薄切りのバナナの小皿、裏を向けた無地のシリアルの箱。
昭和38年〜昭和42年(1963〜1967年ごろ)の日清シスコのシスコーンを再現したイメージ。朝日が窓から差す団地の食卓で、白い陶器の器に盛った金色のコーンフレークに冷たい牛乳が注がれ、横にスプーンとラベルのない小さなガラスの牛乳瓶、薄切りのバナナの小皿、裏を向けた無地のシリアルの箱。(イメージ)

60代の時間軸

日清シスコの沿革によると、同社は1924年に堺で播磨屋製菓所として創業し、1955年に「エースコイン」を発売、1960年にシスコ製菓株式会社へ社名を変えました。そして1963年(昭和38年)にコーンフレークの生産設備が完成し、「シスコーン」が発売されます。沿革は、“世界の朝食シスコーン”をキャッチフレーズに登場したシスコーンが大ヒット商品となり、日本中に新しい食生活・食文化を定着させたと書いています。翌1964年には社名をシスコ株式会社に改め、埼玉県の東京工場が動き始めました。

食べ方は、器にフレークを入れて牛乳をかけるだけ。ご飯とみそ汁の朝に、器とスプーンだけで済む献立が加わりました。砂糖を少し振る家もあり、牛乳をかけずに袋から指でつまんでおやつにする子どももいました。

置き場所は、台所の食器棚の上や、食卓の脇の棚。箱を傾けるとフレークがさらさらと器に落ち、冷たい牛乳を注ぐと、乾いたフレークがぱちぱち、しゅわっと鳴ります。スプーンですくった最初のひと口はかりっと硬く、しばらく置くと牛乳がしみてやわらかくなる。器の底に残った、甘くなった牛乳を最後に飲み干すのが楽しみだった人もいます。窓から朝日が差す食卓で、器のふちに冷えた露がつき、スプーンが陶器に当たる音が朝の支度の音に混じっていました。

沿革には、1968年に「チョコフレーク」を発売し、1991年に日清食品グループに加わって日清シスコ株式会社になったこと、2011年にシスコーンのキャラクターを一新し、2013年に発売50周年を迎えたことも並んでいます。2025年のニュースリリースで、日清シスコはシスコーンをコーンフレークの国内売上No.1ブランドと紹介し、“手軽においしく、簡単に栄養がとれる朝食”と説明しています。いまはフロストやマイルドチョコ、グラノーラなど、朝の器に入るものの種類がずっと増えました。

シスコーンの記憶は、家の朝ごはんがご飯中心だったかどうかで大きく違います。ハイカラな新しい朝食として食卓に出た家があり、病気の日や寝坊した朝にだけ出てくる手軽な一皿だった家もあります。牛乳が苦手で、何もかけずにスナックのように食べていた人もいました。あなたがシスコーンに牛乳をかけたとき、すぐに食べていましたか、それともしみてやわらかくなるのを待っていましたか?

日清シスコのシスコーンを思い出す三つの手がかり

  1. 日清シスコのシスコーンにまつわる場所を一つ思い浮かべます。家、学校、駅前、友だちの家など、名前が出てこなくても構いません。
  2. そこで一緒にいた人と、音・匂い・手触りのどれかを書き添えます。曖昧なところは「たぶん」「覚えていない」で大丈夫です。
  3. いまの自分へ一言だけ残します。正解を書く欄はありません。次に誰かとその話をするときの入口になります。

出典と編集方針

このページは、公開資料で時代背景を確認しつつ、特定の世代の体験を一つに決めつけない読みものとして編集しています。地域や家庭による違いがあります。あなたの記憶と違う箇所は、間違い探しではなく会話のきっかけとして扱ってください。