あアノコロ記憶のタイムマシン
70代 テレビ・映画

昭和43年(1968年)ごろの日立のキドカラー|飛行船が名前を運んだ赤のあざやかな居間のカラーテレビ

昭和43年〜昭和47年(1968〜1972年ごろ)の日立のキドカラーを手がかりに、居間のテレビが色を持ったころを振り返ります。日立の沿革ページと日立評論の記事で、名前が使われ始めた年と当時の価格感を確かめ、木のキャビネットの匂いから後の「ポンパ」までをたどります。

昭和43年〜昭和47年(1968〜1972年ごろ)の日立のキドカラーを再現したイメージ。夕方のあたたかな光が入る畳の居間に、両開きの木の扉を開いた脚付きの大きなブラウン管テレビが画面を消して立ち、上にレースの敷物、前の低い卓に無地の急須がある。
昭和43年〜昭和47年(1968〜1972年ごろ)の日立のキドカラーを再現したイメージ。夕方のあたたかな光が入る畳の居間に、両開きの木の扉を開いた脚付きの大きなブラウン管テレビが画面を消して立ち、上にレースの敷物、前の低い卓に無地の急須がある。(イメージ)

70代の時間軸

日立の沿革ページによると、同社は1958年に国産第1号のカラーブラウン管を開発し、カラー放送の始まった1960年に21型と17型のカラーテレビを発売しました。日立評論の記事は、当時の価格を50万円以上、大卒の初任給を1万円〜1万5千円と記しています。1968年には、赤色が鮮明なブラウン管を採用したテレビが「キドカラー」の名前で売り出されました。日立はその宣伝のため、世界に3機しかなかった飛行船をチャーターし、「キドカラー号」が商品名を掲げ、CMソングを流しながら日本の空を飛んでいます。

初期のカラーテレビは真空管式で、スイッチを入れても10秒以上映りませんでした。つまみを回してから湯のみを手に取り、画面が明るくなるのを待ちます。

畳の部屋の奥に、脚の付いた木のキャビネットが据えてありました。両開きの扉を左右に開くと、丸みのある暗いガラスが現れ、下の布張りのスピーカーから少し遅れて音が出てくる。上にレースの敷物が掛かり、その端が放熱の風でかすかに持ち上がる家もありました。しばらくつけていると裏の通風孔から温かい空気が流れ、埃の焼ける匂いが部屋に混じります。つまみは固く、回すとコリコリと段を踏む感触が指に伝わりました。夕方の光が消えるころ、画面の色だけが畳と急須を照らしました。

翌1969年、日立は業界初の19型オールトランジスタカラーテレビを発売し、ブラウン管を予熱しておく工夫で、スイッチを「ポン」と入れると「パッ」と映るようにしました。「ポンパ」の愛称で大ヒットし、1970年には移動ショールームのSL列車「ポンパ号」が全国を巡ります。待ち時間が消えるのは、そこからです。今のテレビはリモコンを押せばすぐ映り、赤の鮮やかさを宣伝文句に空を飛ぶ飛行船も見かけません。

色のついたテレビが家に来た時期は、家によって何年も開きがあります。まず近所の家や電器店の店先で見た人、白黒のテレビで番組を見続けた人、空の飛行船のほうを先に覚えた人。あなたがキドカラーの画面で初めて見た赤は、どの番組の何の色でしたか?

日立のキドカラーを思い出す三つの手がかり

  1. 日立のキドカラーにまつわる場所を一つ思い浮かべます。家、学校、駅前、友だちの家など、名前が出てこなくても構いません。
  2. そこで一緒にいた人と、音・匂い・手触りのどれかを書き添えます。曖昧なところは「たぶん」「覚えていない」で大丈夫です。
  3. いまの自分へ一言だけ残します。正解を書く欄はありません。次に誰かとその話をするときの入口になります。

出典と編集方針

このページは、公開資料で時代背景を確認しつつ、特定の世代の体験を一つに決めつけない読みものとして編集しています。地域や家庭による違いがあります。あなたの記憶と違う箇所は、間違い探しではなく会話のきっかけとして扱ってください。