昭和38年(1963年)ごろのマツダのファミリア|荷物も人も乗せるバンから始まった「白いエンジン」の小型車
昭和38年〜昭和42年(1963〜1967年ごろ)のマツダのファミリアを手がかりに、家に初めて車が来たころを振り返ります。マツダの沿革と100周年サイトの車種紹介でバンとセダンの発売順を確かめ、未舗装の道の揺れや荷物の積み方をたどります。

70代の時間軸
マツダの沿革によると、初代「ファミリアバン」の発売は1963年10月で、アルミ合金製782cc水冷4気筒のエンジンを積んでいました。1964年4月にワゴン、10月にセダンが続き、セダンは800cc(42PS)で、11月には2ドアも加わります。100周年サイトの車種紹介は、800ccクラスのファミリーカーとして開発しながら、荷物の運搬にも使えるライトバンの需要に目を付け、リアゲートを備えたバンから売り出したと説明しています。
平日は仕事の荷物、休みの日は家族。後ろのゲートを上げて箱や農具を積み、座席に子どもを乗せて親戚の家へ向かう。バンにはそうした兼用の使い方が似合いました。
乗用のセダンは1964年の第11回東京モーターショーで大きく発表され、フラットデッキと呼ばれる平らな線の車体で目を引きました。100周年サイトによれば、総アルミ合金製のエンジンは鋳肌の明るい色から「白いエンジン」と呼ばれています。ボンネットを開けて見せたくなった持ち主もいたことでしょう。舗装されていない道では砂利がタイヤの内側をパチパチと叩き、乾いた日には土ぼこりが細いドアのすき間から入ってきました。木の塀に沿って低い速度で進むと、道の凸凹が座面から腰へ上がってきて、ビニール張りの座席が揺れに合わせて小さくきしみます。夏は窓を開けるほかに涼む手立てが無く、日に焼けた金属の匂いが車内にこもりました。
1965年には月平均3千台を売り、市場シェアは30%を超えたと車種紹介にあります。1967年11月には2代目が登場し、シリーズの生産累計は1970年3月に100万台に達しました。車を持つこと自体が家の大きな出来事だった時代で、今のように駐車場付きの家が珍しくない暮らしとは距離があります。納車の日に家の前で写真を撮り、近所の人が見に来ることもありました。
町の商店で配達に使われたバンを覚えている人もいれば、父親が通勤に乗ったセダンの後ろの席を思い出す人もいます。あなたの家や近所のファミリアは、荷物と人のどちらを多く乗せていましたか?
マツダのファミリアを思い出す三つの手がかり
- マツダのファミリアにまつわる場所を一つ思い浮かべます。家、学校、駅前、友だちの家など、名前が出てこなくても構いません。
- そこで一緒にいた人と、音・匂い・手触りのどれかを書き添えます。曖昧なところは「たぶん」「覚えていない」で大丈夫です。
- いまの自分へ一言だけ残します。正解を書く欄はありません。次に誰かとその話をするときの入口になります。
出典と編集方針
このページは、公開資料で時代背景を確認しつつ、特定の世代の体験を一つに決めつけない読みものとして編集しています。地域や家庭による違いがあります。あなたの記憶と違う箇所は、間違い探しではなく会話のきっかけとして扱ってください。
- マツダ「沿革(1920年〜1979年)」
- マツダ100周年サイト「歴代のマツダ車 ファミリアバン(初代)」
- マツダ100周年サイト「歴代のマツダ車 ファミリア(初代)」
- 編集確認日:2026-10-31。出来事の事実確認と、個人の記憶・感想は分けて記載しています。