あアノコロ記憶のタイムマシン
70代 街・暮らし

昭和30年代(1955〜1964年ごろ)の牛乳石鹸の赤箱|どっしりした牛の箱で始まり、のちの家の風呂場で薄くなっていった一個

初代の箱にいたのは、どっしりとした牛でした。昭和3年(1928年)に始まった牛乳石鹸の赤箱を、昭和30年代(1955〜1964年ごろ)の家の風呂場で覚えている人もいます。牛乳石鹸の沿革と現在の製品案内で発売の年と製法を押さえ、この年代は回想の目安として置きました。

昭和30年代(1955〜1964年ごろ)の牛乳石鹸の赤箱を再現したイメージ。湯気の立つ家庭の風呂場のぬれたタイルの縁に、泡をまとった角の丸い象牙色の固形石鹸がアルミの石鹸皿に載り、無地の赤い空き箱が裏を向いて置かれ、木の小さな腰掛けと黄色い洗面器が見える。
昭和30年代(1955〜1964年ごろ)の牛乳石鹸の赤箱を再現したイメージ。湯気の立つ家庭の風呂場のぬれたタイルの縁に、泡をまとった角の丸い象牙色の固形石鹸がアルミの石鹸皿に載り、無地の赤い空き箱が裏を向いて置かれ、木の小さな腰掛けと黄色い洗面器が見える。(イメージ)

70代の時間軸

牛乳石鹸の沿革は、昭和3年(1928年)の欄に「初代「赤箱」発売」と書いています。同じ年に佐藤貞次商店から「牛乳石鹸」の商標を譲り受け、念願の自社商標による製造販売が実現しました。それ以前の大正7年(1918年)には天王寺公園の博覧会で脂肪酸石鹸の実演をおこない、大正13年(1924年)に今福工場を建てています。昭和6年(1931年)には個人経営から株式会社へ。戦後の昭和26年(1951年)、民間ラジオの開局とともに始めた「歌謡五十年史」が宣伝の場となりました。

赤い箱を開け、新しい一個を石鹸皿へ移す。手ぬぐいにこすりつけて泡を立て、そのまま背中へ回す。初代の発売から何十年もたった家庭の風呂場でも、手順に大きな違いはありません。

家に風呂ができたあとの夕方、タイルの縁はいつも濡れていて、裸電球のまわりに湯気がたまっています。アルミの石鹸皿に置いた一個は底がぬめり、持ち上げるとぬるりと指から逃げて、黄色い洗面器のなかへ音を立てて落ちました。下ろしたての角は手ぬぐいに引っかかるほど硬く、牛の刻印が指の腹に当たります。それが使うほどに丸くなり、刻印が消え、ある晩には薄い一枚になる。木の腰掛けに座ると尻が冷たくて、湯をかけてから座り直しました。ローズ調の香りは湯気といっしょに脱衣所まで流れ、上がったあとの手ぬぐいにも残っています。空き箱は捨てずに棚へ上げて、釘や端切れを入れておく家もありました。

製品案内によると、いまの赤箱は85gと125gの2種類があり、3コパックや6コ入でも売られています。古くから受け継ぐという「釜だき製法(けん化塩析法)」はそのまま掲げられていて、平成28年(2016年)には赤箱と青箱がグッドデザイン・ロングライフデザイン賞を受けました。液体のボディソープが並ぶ棚の下段で、箱の赤はよく目立ちます。

銭湯へ持っていく石鹸箱に入れた祖母、割って二つにしてから下ろした母、薄くなった一枚を新しい一個に押しつけて継いだ父。小さくなった赤箱を、あなたの家では風呂場のどこに置いて、最後はどう使いきっていましたか?

牛乳石鹸の赤箱を思い出す三つの手がかり

  1. 牛乳石鹸の赤箱にまつわる場所を一つ思い浮かべます。家、学校、駅前、友だちの家など、名前が出てこなくても構いません。
  2. そこで一緒にいた人と、音・匂い・手触りのどれかを書き添えます。曖昧なところは「たぶん」「覚えていない」で大丈夫です。
  3. いまの自分へ一言だけ残します。正解を書く欄はありません。次に誰かとその話をするときの入口になります。

出典と編集方針

このページは、公開資料で時代背景を確認しつつ、特定の世代の体験を一つに決めつけない読みものとして編集しています。地域や家庭による違いがあります。あなたの記憶と違う箇所は、間違い探しではなく会話のきっかけとして扱ってください。