あアノコロ記憶のタイムマシン
70代 街・暮らし

昭和35年(1960年)ごろの旭化成のサランラップ|7メートルで100円の透明な膜を残りものの鉢にかけた晩

7メートル巻きが100円。昭和35年〜昭和39年(1960〜1964年ごろ)の旭化成のサランラップは、担当者が「高級品」と振り返る値段で店に並びました。旭化成の沿革、旭化成ホームプロダクツの発表資料、ウォーカープラスの取材から、売れなかった最初の数年と黄色い箱になるまでが読み取れます。

昭和35年〜昭和39年(1960〜1964年ごろ)の旭化成のサランラップを再現したイメージ。裸電球の夕方の光が落ちる台所の木の机に、無地の白い細長い箱がふたを開けて横たわり、透明な膜をかけた煮野菜の陶器の鉢と、角の丸い薄緑の小さな冷蔵庫が並んでいる。
昭和35年〜昭和39年(1960〜1964年ごろ)の旭化成のサランラップを再現したイメージ。裸電球の夕方の光が落ちる台所の木の机に、無地の白い細長い箱がふたを開けて横たわり、透明な膜をかけた煮野菜の陶器の鉢と、角の丸い薄緑の小さな冷蔵庫が並んでいる。(イメージ)

70代の時間軸

旭化成の沿革は1960年の欄に、樹脂製品事業への進出と「サランラップ」の販売開始を並べています。アメリカで普及していた食品用ラップフィルムを、その生産を担当していたダウケミカル社との提携で日本でも作ることになったものです。ウォーカープラスの取材に答えた旭化成ホームプロダクツの担当者によると、7メートル巻きが100円で、今の物価なら1000円以上にあたる。1960年ごろの冷蔵庫の普及率は約10%で、売上不振の日々が数年間続きました。名前は、フィルム製造メーカーの職員の妻サラとアンがピクニックにレタスを包んで持っていった話から付いたと、同社の発表資料は「言われています」の形で伝えています。

何に使うものか、まず見せる必要がありました。同社は発売当初からテレビCMを打ち、当時台頭してきたスーパーマーケットの店内で実演販売を始めています。鉢に膜をかけ、縁を指でなぞって陶器に張りつかせる。買って帰った台所でも、たぶん同じ手順でした。

夕飯の片づけが終わるころ、煮物が少し残った鉢を机へ寄せます。細長い箱を片手で持って膜を引き出すと、ちりちりと乾いた音がして、裸電球の光が細かいしわの上を走りました。切る前に膜どうしが触れると、もういけません。指先でつまんでもはがれず、丸まったひとかたまりが手に張りつくだけ。高い品なので、その分が惜しい。うまくかかれば、醤油と里芋の匂いが膜の内側に閉じこもり、鉢を持ち上げても匂いが追ってこない。角の丸い冷蔵庫のある家なら、取っ手を引いて中段のすき間に押しこみます。翌朝に開けると、膜の裏に水滴がびっしり並んでいて、箸で触るとたわみました。

1965年には冷蔵庫の普及率が50%に上がり、ここで第1次ブームが来ます。電子レンジによる第2次は1975年。発売当初は違う色だった箱は、1966年に「キッチンに映えるパッケージに」と黄色へ変わり、2014年には緑、ピンク、水色の3色になりました。その年の資料では22cm×20mが240円で、2018年には刃が直線からM字へ替わっています。

冷蔵庫の来た年で、ラップの出番は家ごとにずれました。蠅帳を手放さなかった台所、実演を見た帰りに一本だけ買って来客の前にしか箱を開けなかった台所、魚の匂いを止めるのに使った台所。初めて家でサランラップをかけたのは何のおかずの鉢で、しまった先は冷蔵庫でしたか、それとも戸棚でしたか?

旭化成のサランラップを思い出す三つの手がかり

  1. 旭化成のサランラップにまつわる場所を一つ思い浮かべます。家、学校、駅前、友だちの家など、名前が出てこなくても構いません。
  2. そこで一緒にいた人と、音・匂い・手触りのどれかを書き添えます。曖昧なところは「たぶん」「覚えていない」で大丈夫です。
  3. いまの自分へ一言だけ残します。正解を書く欄はありません。次に誰かとその話をするときの入口になります。

出典と編集方針

このページは、公開資料で時代背景を確認しつつ、特定の世代の体験を一つに決めつけない読みものとして編集しています。地域や家庭による違いがあります。あなたの記憶と違う箇所は、間違い探しではなく会話のきっかけとして扱ってください。