あアノコロ記憶のタイムマシン
60代 街・暮らし

昭和52年(1977年)ごろの理想科学工業のプリントゴッコ|こたつの上でランプを光らせて刷った師走の年賀状

ランプが一度光れば、同じ絵をはがきへ次々に刷れる。昭和52年〜昭和56年(1977〜1981年ごろ)の理想科学工業のプリントゴッコは、印刷機を家に持ちこむ品でした。同社のあゆみと神戸新聞の記事、@DIMEの記事で、発売の月から事業を終えるまでの数字が追えます。

昭和52年〜昭和56年(1977〜1981年ごろ)の理想科学工業のプリントゴッコを再現したイメージ。師走の夜のこたつの上に、ふたが蝶番で開く平たい薄青のプラスチックの印刷機と反射板つきのランプ部、無地のチューブの赤インク、赤い椿を刷ったはがきと白いはがきの束、みかんが置かれている。
昭和52年〜昭和56年(1977〜1981年ごろ)の理想科学工業のプリントゴッコを再現したイメージ。師走の夜のこたつの上に、ふたが蝶番で開く平たい薄青のプラスチックの印刷機と反射板つきのランプ部、無地のチューブの赤インク、赤い椿を刷ったはがきと白いはがきの束、みかんが置かれている。(イメージ)

60代の時間軸

理想科学工業の創業は、1946年(昭和21年)に1台の謄写版印刷機から始まったと同社のあゆみにあります。その会社が家庭用として出したのが1977年(昭和52年)のプリントゴッコで、@DIMEの記事によれば1977年9月発売の「プリントゴッコB6」でした。印刷機は印刷会社のものという時代に、発売と同時に爆発的な大ヒットとなり、生産が追いつかずにお詫びの広告を出しています。あゆみの言葉では「年の暮れの風物詩」です。

原稿を描いて本体に挟み、ランプを光らせて版を作る。版にインクを載せ、はがきを置いてふたを押す。上げて、はがきを替えて、また押す。手書きの文字や絵がそのまま版になるので、字の癖まで年賀状に残りました。

大掃除の済んだ夜、こたつの天板を拭いて、みかんを端へ寄せる。下書きの椿は、炭素を含む筆記具でなぞり直さないと写りません。本体を閉じてランプを押すと、ぱっと白く光って、一瞬あとに何かの焦げたような匂いがかすかに残る。薄い版を透かして見ると、線のところだけ細かく抜けていました。チューブの赤を絞ると油っぽい匂いが広がり、色と色の間に壁を作るのに手間がかかる。ふたを押すたび、かしゃんと軽い音がして、はがきが版に吸いつき、はがすときに小さくぴりっと鳴りました。こたつ布団の熱で足だけ汗ばんでくるころには、畳の上いっぱいに刷り上がりが並び、乾くまで歩く場所がなくなります。爪の間に入った赤は、正月になってもまだ取れません。

神戸新聞によると1987年には72万台が売れ、累計は1千万台以上。@DIMEは1996年の累計突破を、4世帯に1台の計算だと書いています。パソコンとインクジェットプリンターの普及で需要は縮み、2008年6月に販売を終了、2012年12月には消耗品の取り扱いも止まりました。いまは画面で絵柄を選んで刷るので、失敗しても紙を一枚捨てるだけで、手は汚れません。

家族の名前を連ねて父が刷った一枚、高校生が友だち宛に描いた一枚、百貨店の実演を見て買った本体を近所に貸した一台。あなたの家のプリントゴッコで、ランプを光らせて作った版の絵柄は何で、インクは何色を並べましたか?

理想科学工業のプリントゴッコを思い出す三つの手がかり

  1. 理想科学工業のプリントゴッコにまつわる場所を一つ思い浮かべます。家、学校、駅前、友だちの家など、名前が出てこなくても構いません。
  2. そこで一緒にいた人と、音・匂い・手触りのどれかを書き添えます。曖昧なところは「たぶん」「覚えていない」で大丈夫です。
  3. いまの自分へ一言だけ残します。正解を書く欄はありません。次に誰かとその話をするときの入口になります。

出典と編集方針

このページは、公開資料で時代背景を確認しつつ、特定の世代の体験を一つに決めつけない読みものとして編集しています。地域や家庭による違いがあります。あなたの記憶と違う箇所は、間違い探しではなく会話のきっかけとして扱ってください。