昭和29年(1954年)ごろの崎陽軒のシウマイ弁当|船の掛け紙をはずして四つのシウマイに箸をつけた車窓の昼
焼き魚に玉子焼き、そこへ蒲鉾と福神漬けとシウマイ。昭和29年〜昭和33年(1954〜1958年ごろ)の崎陽軒のシウマイ弁当は、名品を三つそろえる駅弁として売り出されました。崎陽軒の歴史の頁と製品案内、All Aboutの記事から、初期の中身と値段がどう変わったかが見えてきます。

70代の時間軸
崎陽軒の歴史の頁によると、弁当より先にシウマイがありました。1928年(昭和3年)、車内で食べても冷めてもおいしいものをと南京街の点心職人・呉遇孫をスカウトし、約1年の試行錯誤で豚肉と干帆立貝柱を混ぜた品に行きつきます。1950年(昭和25年)には赤い服の「シウマイ娘」が横浜駅のホームに立ち、車窓の客へ売り歩きました。シウマイ弁当の誕生はそのあとの1954年(昭和29年)です。駅弁の定番である焼き魚や玉子焼きに、横濱蒲鉾、酒悦の福神漬け、崎陽軒のシウマイという三名品を揃えた内容で、All Aboutの記事の一覧では当初が100円。シウマイ4個に筍煮、玉子焼き、蒲鉾、エビフライ、ブリ、福神漬け、切り昆布が入っていました。
掛け紙には港をゆく船。はずしてふたを取り、シウマイにしょう油をたらします。そのしょう油入れは1955年(昭和30年)にシウマイの箱でガラスからひょうたん型の磁器に替わり、横山隆一が顔を描いて「ひょうちゃん」と名付けました。
発車してしばらく、列車が揺れに慣れたころに膝の上か窓の桟で箱を開けます。経木のふたは軽く、裏に飯粒が点々とつき、薄い木の匂いが冷めたごはんの匂いに混じって立ちました。冷めたシウマイは歯ざわりが締まっていて、噛むと干帆立貝柱の匂いが鼻へ抜ける。レールの継ぎ目を越えるたびに箱が小さく跳ね、筍煮の汁が玉子焼きのほうへ寄っていく。窓の外は明るい田んぼで、ガラスに顔を近づけると、車内のこもった空気のなかで自分の持つ箸の先だけ影が動きました。食べ終わってもまだ手のひらに残る小さな磁器のひょうたんは、捨てるには惜しい重さです。上着のポケットへ入れたまま家まで持ち帰り、茶だんすに並べた家もありました。
一覧をたどると、1963年ごろに150円、1968年ごろに200円で、鶏の唐揚げはこの1968年ごろの欄に見えます。1974年に400円となり、シウマイは5個へ。消えていた玉子焼きは2003年に戻り、記者会見まで開かれました。いまの製品案内では1,180円(税込)で、鮪の漬け焼きや蒲鉾、あんずも入ります。掛け紙は1960年、1964年と替わり、おなじみの龍と水晶玉はこの1964年からです。
船の絵の紙を覚えている人と、龍の紙で覚えている人とでは、同じ弁当でも箱の中身が少し違います。ホームの売り子から窓越しに受け取った箱、親が横浜みやげに提げてきて茶の間で開けた箱。シウマイ弁当の経木のふたを取ったとき、あなたが最初に箸を伸ばしたのはシウマイと筍煮のどちらでしたか?
崎陽軒のシウマイ弁当を思い出す三つの手がかり
- 崎陽軒のシウマイ弁当にまつわる場所を一つ思い浮かべます。家、学校、駅前、友だちの家など、名前が出てこなくても構いません。
- そこで一緒にいた人と、音・匂い・手触りのどれかを書き添えます。曖昧なところは「たぶん」「覚えていない」で大丈夫です。
- いまの自分へ一言だけ残します。正解を書く欄はありません。次に誰かとその話をするときの入口になります。
出典と編集方針
このページは、公開資料で時代背景を確認しつつ、特定の世代の体験を一つに決めつけない読みものとして編集しています。地域や家庭による違いがあります。あなたの記憶と違う箇所は、間違い探しではなく会話のきっかけとして扱ってください。
- 崎陽軒「崎陽軒の歴史」
- 崎陽軒 製品のご案内「シウマイ弁当」
- All About「1日平均約3万個! 日本一売れている駅弁」崎陽軒のシウマイ弁当
- 編集確認日:2026-11-02。出来事の事実確認と、個人の記憶・感想は分けて記載しています。