昭和30年(1955年)ごろのトヨタのトヨペット・クラウン|前後のドアが真ん中から開く車を町で見かけた日
前と後ろのドアが真ん中から左右へ開く乗用車が、町の通りに停まっていた時代があります。昭和30年〜昭和34年(1955〜1959年ごろ)のトヨタのトヨペット・クラウンの発売日と生産の動きはトヨタ自動車75年史で、当時の道路事情と寸法の見方はwebCGの記事で確かめました。

70代の時間軸
トヨタ自動車75年史の車両資料には、発売日が1955年1月7日とあります。いすゞや日産、日野が海外メーカーと提携してノックダウン生産を進めていた時期に、トヨタは純国産方式を選びました。エンジンは4気筒OHVの1.5リッターで48馬力のR型、変速機は3速のコラムシフト、前席もベンチシートの6人乗り。「トヨペット」の名は一般公募で決まり、「クラウン」は英語で王冠を指します。売れ行きは初めから好調だったわけでもなく、社史の本文によれば1955年のクラウンの平均月産は229台でした。翌1956年の10月には、クラウン単独で月産1,000台を超えています。
乗る人は限られていました。車両資料が挙げるのは、裕福な個人オーナー、社用車、公用車、そしてタクシーです。営業用には別にRR型マスターが用意されていたものの、クラウンの足まわりが営業に充分耐えるとわかると、ハイヤーやタクシーの業界から要望が出て、1955年12月からはRS型も営業車向けに売られました。自分の家の車として知っていた人より、駅前で手を挙げて乗った車として覚えている人のほうが、町によっては多かったはずです。
雨あがりの砂利道で、商店の前に一台停まっている。子どもの背丈だと、丸いライトとめっきのバンパーがちょうど目の高さに来ました。運転手が後ろのドアの取っ手を引くと、ドアは前のほうへ開きます。前のドアと向かい合わせに開くこの形が、のちに“観音開きのクラウン”という愛称のもとになりました。乗せてもらえた子は、座席の沈み方と、閉めるときのドアの重さを覚えています。ばたんと低い音がして、外の声が急に遠くなる。ハンドルの脇から伸びたレバーを運転手が動かすと、かちりと手ごたえがあって、車体がゆっくり前へ出ました。窓のすきまから入るガソリンの匂いに酔った子もいれば、その匂いが好きで、降りてからも排気のあとを追って歩いた子もいます。走り去ったあとには、砂ぼこりが道の上に薄く残りました。
車両資料の寸法は全長4285mm、全幅1680mm、全高1525mm。webCGの記事は、全高を除けば記事を書いた時点の「カローラ アクシオ」より小さいと書いています。町でひときわ大きく見えた車が、数字のうえでは今の小型セダンより短くて細い。同じ記事は、別体式のフレームを選んだ理由を、未舗装路の多かった道路事情への備えと見ています。今の乗用車の後ろのドアは前側に蝶番があり、道ばたで開くところを見ても足を止める人はいません。
官庁街なら公用車の黒い列、地方なら駅前で客を待つ一台のタクシー。父親の勤め先の車を休みの日に洗った子もいて、町と家によってこの車との距離はかなり違いました。トヨペット・クラウンの後ろのドアが開くところを、あなたはどの店の前か、どの駅の前で見ましたか?
トヨタのトヨペット・クラウンを思い出す三つの手がかり
- トヨタのトヨペット・クラウンにまつわる場所を一つ思い浮かべます。家、学校、駅前、友だちの家など、名前が出てこなくても構いません。
- そこで一緒にいた人と、音・匂い・手触りのどれかを書き添えます。曖昧なところは「たぶん」「覚えていない」で大丈夫です。
- いまの自分へ一言だけ残します。正解を書く欄はありません。次に誰かとその話をするときの入口になります。
出典と編集方針
このページは、公開資料で時代背景を確認しつつ、特定の世代の体験を一つに決めつけない読みものとして編集しています。地域や家庭による違いがあります。あなたの記憶と違う箇所は、間違い探しではなく会話のきっかけとして扱ってください。
- トヨタ自動車75年史「車両系統図 トヨペット クラウン 1代目」
- トヨタ自動車75年史 第1部第2章第8節第3項「トヨペット・クラウンの生産増加」
- webCG「初代トヨペット・クラウン」の記事(デイリーコラム)
- 編集確認日:2026-11-02。出来事の事実確認と、個人の記憶・感想は分けて記載しています。