昭和46年(1971年)ごろの日本マクドナルドのハンバーガー|銀座の歩行者天国で立ったままかじった80円の一個
座る席のない店でした。昭和46年〜昭和50年(1971〜1975年ごろ)の日本マクドナルドのハンバーガーを語るなら、東京銀座三越1階の第1号店から始まります。会社の沿革と公式の歴史年表、週刊現代の座談会で、39時間の工事と80円という値段に裏が取れました。

60代の時間軸
日本マクドナルドホールディングスの沿革では、1971年5月に会社を設立し、6月に「ハンバーガー大学」を開校、そして7月20日に日本第1号店を東京銀座三越1階に開いています。品書きにはハンバーガー、チーズバーガー、フィレオフィッシュ、ビッグマック、マックフライポテト、アップルパイ、マックシェイク。公式の歴史年表は工事の話も伝えていて、三越の営業を止めないよう許された時間は39時間でした。別の土地で店を建てては解体する練習を重ね、3回目に36時間で完成するようになってから本番に臨み、22坪の店舗に70名を動員しています。
週刊現代の座談会によると、値段はハンバーガーが80円、ビッグマックが200円。第1号店はテイクアウト専門で、路上で立ったまま食べるか、家に持ち帰るしかありませんでした。
前の年から銀座通りでは日曜と祝日の歩行者天国が始まっていて、車のいない車道の真ん中まで人が出ています。三越の角で受け取った包みはまだ温かい。白い紙を半分めくると、パンのやわらかさが指に沈み、焼いた肉の匂いが夏の埃っぽい空気に混じりました。座談会で語る一人は、日本のハンバーグとは違う独特の固さが新鮮だったと振り返ります。ひと口ごとに紙がかさかさ鳴り、指先には脂が残る。ベルボトムの裾が目の前を横切り、低い縁に腰を下ろせば、石の熱がズボン越しに上がってきました。ストローを吸ってもなかなか上がってこないシェイクは、手の中で重いままです。開店の週末には、偶然来日していたアメリカのボーイスカウトが路上に座りこんでかじりつき、そこから行列が伸びて、その日の客は1万人に達したといいます。
当時、喫茶店のコーヒーが100円、街の中華屋のラーメンが80円くらい。ハンバーガーは割高に感じられる買い物でした。1977年には日本で初めての本格的なドライブスルーが東京の環八高井戸店に現れ、2000年には平日半額の65円が登場します。いまは公式アプリで注文と決済を済ませるドライブスルー モバイルオーダーまであって、窓口で何と頼めばいいのか迷う場面は減りました。
銀座へわざわざ電車で出かけた高校生と、数年後に地元の駅前へ店が来てから初めて口にした人では、最初の一個を食べた場所も、値段の感じ方も違います。はじめてのマクドナルドで、あなたは店員に何と言って注文し、包みを開いたのはどの道の上でしたか?
日本マクドナルドのハンバーガーを思い出す三つの手がかり
- 日本マクドナルドのハンバーガーにまつわる場所を一つ思い浮かべます。家、学校、駅前、友だちの家など、名前が出てこなくても構いません。
- そこで一緒にいた人と、音・匂い・手触りのどれかを書き添えます。曖昧なところは「たぶん」「覚えていない」で大丈夫です。
- いまの自分へ一言だけ残します。正解を書く欄はありません。次に誰かとその話をするときの入口になります。
出典と編集方針
このページは、公開資料で時代背景を確認しつつ、特定の世代の体験を一つに決めつけない読みものとして編集しています。地域や家庭による違いがあります。あなたの記憶と違う箇所は、間違い探しではなく会話のきっかけとして扱ってください。
- 日本マクドナルドホールディングス「沿革・歴史」
- 日本マクドナルド「マクドナルドの歴史」
- 現代ビジネス(週刊現代)「1971年 マクドナルド 銀座・三越に初上陸を語ろう(上)」
- 編集確認日:2026-11-02。出来事の事実確認と、個人の記憶・感想は分けて記載しています。