昭和42年(1967年)ごろの三菱電機のカラーテレビ「高雄」|紅葉の名所の名がついた大きな箱を売り場で見上げた日
京都の紅葉の名所からとった名前が、テレビについていた時代があります。昭和42年〜昭和46年(1967〜1971年ごろ)の三菱電機のカラーテレビ「高雄」の由来と発売の年は三菱電機技報の記事で、カラー放送の始まりと国産機の流れはブルーバックスとASCIIの記事で確かめました。

70代の時間軸
三菱電機技報の記事「映像機器の進化と今後の展開」の年表では、1967年の欄にカラーテレビ“高雄シリーズ”の発売が載っています。同じ記事によれば、これは三菱電機の京都製作所で最初に開発されたカラーテレビで、古都の紅葉の名勝地にちなんで“高雄”と名づけられました。年表に添えられた写真の型番は19CT−703。画質を制御する技術を採り入れたこのテレビが高画質で名声を高め、知名度を不動のものにした、と技報は振り返ります。1971年には“うす形高雄シリーズ”が続きました。
ブルーバックスの記事によると、日本のカラー本放送は1960年9月10日に始まり、放送開始のころのカラー番組は1日1時間程度でした。ASCIIの記事は、国産初のカラーテレビを1960年の東芝の17インチモデルとし、本格的に普及し始めたのは1968年頃と書いています。高雄が店に並んだのは、ちょうどその手前です。
百貨店の家電の売り場では、磨かれた木の床に大きな木の箱が据えられ、手前にロープが張られていることがありました。電源の入った一台の前に人が固まり、芝生の緑や野球のユニホームの赤に小さく声が上がる。買った家では、配達の人が息を合わせて茶の間へ運びこみ、畳に脚のあとがくっきり残りました。スイッチを入れてから絵が出るまでに少し間があり、背面の穴からほこりの焼けるような匂いが上がってきます。ふくらんだガラスに指を近づけると、産毛がぱちぱちと引かれる。夜は天板が手のひらに温かく、母親はその上にレースの敷物を置いて、その上に人形を載せました。夕食のあとに子どもが正面に座りこみ、新聞の番組欄の「カラー」の字を鉛筆で囲んで、その時間を待っています。
技報は、その後の三菱電機が世界最大サイズの37型ブラウン管を他社に先駆けて開発し、45型以上はプロジェクションテレビで45〜92型までそろえ、やがて液晶テレビへ移っていく流れを記しています。壁ぎわに薄い板を立てる今の居間には、背中の張り出した箱のための奥行きも、人形を載せる天板もありません。
名前の由来を知らないまま「うちのタカオ」と呼んでいた家があり、一方で、近所の家へ相撲の中継を見せてもらいに通った子もいます。あなたの町で「高雄」の色のついた画面を最初に見たのは、どの売り場か、誰の家の居間でしたか?
三菱電機のカラーテレビ「高雄」を思い出す三つの手がかり
- 三菱電機のカラーテレビ「高雄」にまつわる場所を一つ思い浮かべます。家、学校、駅前、友だちの家など、名前が出てこなくても構いません。
- そこで一緒にいた人と、音・匂い・手触りのどれかを書き添えます。曖昧なところは「たぶん」「覚えていない」で大丈夫です。
- いまの自分へ一言だけ残します。正解を書く欄はありません。次に誰かとその話をするときの入口になります。
出典と編集方針
このページは、公開資料で時代背景を確認しつつ、特定の世代の体験を一つに決めつけない読みものとして編集しています。地域や家庭による違いがあります。あなたの記憶と違う箇所は、間違い探しではなく会話のきっかけとして扱ってください。
- 三菱電機技報「映像機器の進化と今後の展開」
- ブルーバックス「9月10日 カラーテレビの日」(2021年9月10日)
- 週刊アスキー「トリニトロン・カラーテレビ KV-1310」ほかの紹介記事
- 編集確認日:2026-11-02。出来事の事実確認と、個人の記憶・感想は分けて記載しています。