昭和40年(1965年)ごろの富士フイルムのフジカシングル8|マガジンを差しこんで縁側の赤ん坊に向けた細いカメラ
8ミリ映画が凝った趣味だったころ、母親が片手で赤ん坊を撮れるカメラを、と考えた人たちがいました。昭和40年〜昭和44年(1965〜1969年ごろ)の富士フイルムのフジカシングル8を、富士フイルムの2026年のニュースリリースにある発売年と、国立映画アーカイブのニューズレターに載った設計者の証言から追いました。

70代の時間軸
富士フイルムは2026年1月のニュースリリースで、新しいチェキの形を説明するのに、1965年に自社が発売した8ミリカメラ「フジカシングル-8」を引き合いに出しています。誰でも簡単に日常を動画に残せる、画期的なホームムービーシステムとして人気を博した、という書き方です。国立映画アーカイブのニューズレターでは、富士写真光機で工業デザインを担当した水川繁雄さんが、シングル8用カメラの最初の製品「フジカシングル8 P1」を1965年にデザインし、1979年の生産終了まで関わったと語っています。当時の8ミリといえばダブル8で、フィルムの装填や操作が複雑でした。甲南カメラ研究所の所長が、家庭のお母さんが赤ちゃんを簡単に撮れるものを、マガジンをポンと入れてレンズを向ければ写るものを、と持ちかけ、それに富士フイルムが乗ったといいます。
水川さんによると、P1の定価は16,500円で、ダブル8に比べるとだいぶ安かった。扇千景さんが出たコマーシャルのあとに、P1は売れ出したそうです。
使い方はマガジンを差しこんで、構えて、押すだけでした。フィルムをポリエステルのベースで薄くしたので、マガジンには50フィート(15m)が入ったと水川さんは話しています。本人の言い方では「3分半のフィルム」。縁側で寝返りを打つ赤ん坊にカメラを向けると、手の中でモーターがジーと低く回り、細い本体がかすかに震えます。障子の白い光が強すぎないか、庭の日なたに移るか、撮るほうはそれだけを気にしていました。撮り終えたマガジンは写真店へ預け、現像から戻るまでのあいだ、どんな姿が写っているかは誰にも分かりません。戻ってきたフィルムを映写機にかけ、部屋を暗くして襖や白い布に映すと、カタカタという送りの音と、ランプの熱で温まった空気の匂いのなかで、少し前の赤ん坊が音もなく手足を動かしていました。
同じリリースによると、2026年1月30日に発売された「instax mini Evo Cinema」は、フジカシングル-8を思わせる縦持ちの形をしています。デジカメ Watchの記事も、縦に持つ姿を1965年の8ミリカメラに結びつけています。いまは電話機で撮った動画を、その場で何度でも見返せます。フィルムの残りを数えながら、どの場面にカメラを向けるかを決めていた手つきは、残っていません。
水川さんが関わったP1の系列は1979年に生産を終えています。昭和40年代の初めに撮りはじめた家と、50年代になって譲られたカメラで撮った家とでは、映っている子どもの年ごろも、映した部屋の明かりも違います。お宮参りの神社の石段ばかりが残った家もあれば、運動会の徒競走だけが何本も続く家もあります。フジカシングル8で撮ったフィルムを家で映したとき、最初に映ったのは誰がどこで何をしている場面でしたか?
富士フイルムのフジカシングル8を思い出す三つの手がかり
- 富士フイルムのフジカシングル8にまつわる場所を一つ思い浮かべます。家、学校、駅前、友だちの家など、名前が出てこなくても構いません。
- そこで一緒にいた人と、音・匂い・手触りのどれかを書き添えます。曖昧なところは「たぶん」「覚えていない」で大丈夫です。
- いまの自分へ一言だけ残します。正解を書く欄はありません。次に誰かとその話をするときの入口になります。
出典と編集方針
このページは、公開資料で時代背景を確認しつつ、特定の世代の体験を一つに決めつけない読みものとして編集しています。地域や家庭による違いがあります。あなたの記憶と違う箇所は、間違い探しではなく会話のきっかけとして扱ってください。
- 富士フイルム ニュースリリース「instax mini Evo Cinema」
- 国立映画アーカイブ NFCニューズレター 連載「フィルムアーカイブの諸問題」水川繁雄氏インタビュー
- デジカメ Watch「8mmフィルムカメラを彷彿とさせる“チェキ“「instax mini Evo Cinema」」
- 編集確認日:2026-11-03。出来事の事実確認と、個人の記憶・感想は分けて記載しています。