あアノコロ記憶のタイムマシン
60代 街・暮らし

昭和38年(1963年)ごろの日本交通公社の時刻表|新幹線が一年にわたって表紙を飾った、駅の待合室で開く分厚い一冊

時刻は、はじめ漢数字で書かれていました。昭和38年〜昭和42年(1963〜1967年ごろ)の時刻表を、JTBパブリッシングの創刊100周年のお知らせと、Real Soundの編集長インタビューで確かめ、創刊の年から、表紙の写真が変わった年までを書き出します。

昭和38年〜昭和42年(1963〜1967年ごろ)の日本交通公社の時刻表を再現したイメージ。朝の光が背の高い木枠の駅の窓から差し込む小さな駅の待合室で、擦り切れた木のベンチの上に、蓋の平らな無地のアルミの弁当箱と、コルク栓の小さな無地のガラス瓶が並び、奥に石炭ストーブとやかんがぼんやり見える。
昭和38年〜昭和42年(1963〜1967年ごろ)の日本交通公社の時刻表を再現したイメージ。朝の光が背の高い木枠の駅の窓から差し込む小さな駅の待合室で、擦り切れた木のベンチの上に、蓋の平らな無地のアルミの弁当箱と、コルク栓の小さな無地のガラス瓶が並び、奥に石炭ストーブとやかんがぼんやり見える。(イメージ)

60代の時間軸

JTBパブリッシングの発表によると、『JTB時刻表』のはじまりは、1925年(大正14)4月に鉄道省運輸局が編纂した『汽車時間表』です。駅の待合室などに常備されていた鉄道省の業務用の時刻表を、一般向けに売り出したものでした。時刻が算用数字で並ぶ書き方はこの創刊号から採用され、それ以前は漢数字だったと、Real Soundの記事も伝えています。弁当販売駅や赤帽所在駅を記号で示す工夫もありました。1942年(昭和17)に24時間制となって名前が「時刻表」になり、1951年(昭和26)には「国鉄監修時刻表」となります。1963年(昭和38)8月号で初のカラー写真表紙になり、1964年(昭和39)10月号は新幹線開業で、1年に渡って新幹線が表紙を飾りました。

出かける前の晩は、時刻表を広げて、乗る列車の一本前と一本あとの時刻まで指でたどります。乗り換えの駅で待つ時間を、鉛筆の小さな字で余白に書きました。

駅の待合室では、木のベンチの端に腰を下ろして、膝の上で分厚い一冊を開きます。薄い紙は、めくるたびに乾いた音を立てました。石炭ストーブの上でやかんが鳴り、窓の外では、ホームを渡る風が帽子のつばを押さえる人の背を揺らす。弁当の包みの匂いに、石炭のわずかに焦げる匂いが混じる。紙に並んだ細かい数字の列は、目を近づけないと追えず、指で押さえながら一行ずつ進みました。

JTBパブリッシングは、乗換検索アプリなら一瞬で最短ルートを調べられると認めたうえで、乗車予定の列車の前後の運行状況が一目で分かることや、記録として思い出を残せることを、紙の時刻表のよさに挙げています。1987年(昭和62)には国鉄民営化に伴い、4月号から「交通公社の時刻表」となりました。いまのJTB時刻表は、全国約900の運輸会社のダイヤを扱います。

ある家では、出張の多い父の机の上に、いつも一冊が置かれていました。別の家では、一年に一度の帰省の前だけ、母が駅の売店で買ってきました。買う時期も、開く場所も、家ごとに違います。時刻表の何ページ目を開いて、あなたは最初にどの駅の名前を指でなぞりましたか?

日本交通公社の時刻表を思い出す三つの手がかり

  1. 日本交通公社の時刻表にまつわる場所を一つ思い浮かべます。家、学校、駅前、友だちの家など、名前が出てこなくても構いません。
  2. そこで一緒にいた人と、音・匂い・手触りのどれかを書き添えます。曖昧なところは「たぶん」「覚えていない」で大丈夫です。
  3. いまの自分へ一言だけ残します。正解を書く欄はありません。次に誰かとその話をするときの入口になります。

出典と編集方針

このページは、公開資料で時代背景を確認しつつ、特定の世代の体験を一つに決めつけない読みものとして編集しています。地域や家庭による違いがあります。あなたの記憶と違う箇所は、間違い探しではなく会話のきっかけとして扱ってください。