あアノコロ記憶のタイムマシン
60代 テレビ・映画

昭和37年(1962年)ごろの東京ニュース通信社のTVガイド|街頭テレビの時代に、家の中でテレビを見るために開いた週刊誌

船の予定を伝える英字新聞の会社が、テレビの雑誌を出しました。昭和37年〜昭和41年(1962〜1966年ごろ)の週刊TVガイドを、東京ニュース通信社の沿革と創刊60周年のあいさつ、Forbes JAPANの記事で、創刊の月と当時のテレビの普及ぶりから確かめます。

昭和37年〜昭和41年(1962〜1966年ごろ)の東京ニュース通信社のTVガイドを再現したイメージ。八月の夕方、ランプのあたたかい光が入る居間で、ちゃぶ台の上に無地の盆があり、奥の低い台にかぎ針編みの白い敷物を敷いて、消えた丸みのある画面と二つの丸いつまみ、天板に細い二本のアンテナ棒を付けた木箱形の白黒テレビが置かれている。
昭和37年〜昭和41年(1962〜1966年ごろ)の東京ニュース通信社のTVガイドを再現したイメージ。八月の夕方、ランプのあたたかい光が入る居間で、ちゃぶ台の上に無地の盆があり、奥の低い台にかぎ針編みの白い敷物を敷いて、消えた丸みのある画面と二つの丸いつまみ、天板に細い二本のアンテナ棒を付けた木箱形の白黒テレビが置かれている。(イメージ)

60代の時間軸

東京ニュース通信社の沿革は、1962年8月に『週刊TVガイド』創刊と記しています。Forbes JAPANによると創刊日は8月4日で、同社の創刊60周年のあいさつは、1953年にテレビ放送が始まって約10年後、まだ各家庭にテレビ受像機が無く(1000万世帯、普及率48.5%)、街頭テレビが当たり前だった時代の創刊だったと振り返っています。船のスケジュールを管理する英字新聞を出していた会社が、新分野のテレビ情報誌に踏み出しました。周りからは「テレビ誌なんて絶対成功しない」と言われたそうです。

週に一度、家に届く番組の一覧に、赤鉛筆で印をつける人がいました。印のついた時間になると、夕飯の箸をいったん置きます。台所から居間へ運ぶ鍋の湯気も、その時間に合わせて足早になりました。

テレビは木の箱で、前の扉を開けると、丸みのあるガラスの画面が暗く光っていました。電源を入れると少し間があって、画面の真ん中に白い点が灯り、ゆっくり広がっていく。真空管のあたたかさで、キャビネットの上がほんのり温まり、ほこりの匂いが立ちます。ちゃぶ台を寄せ、座布団を並べて、雑誌を膝の上に開く。見たい番組の横に印を足していくたび、鉛筆の芯が紙の上で細かく鳴りました。

創刊の頃、テレビ受像機は1000万世帯で、普及率は48.5%でした。街頭テレビの前に人が集まる時代から、家ごとに一台を囲む時代へ移るなかで、番組を選ぶための雑誌も、居間に置かれるようになっていきます。東京ニュース通信社は、2022年に創刊60周年を迎えました。

まだテレビが無い家では、番組欄に載っている番組を、街頭テレビの前や、持っている家の居間で見ました。居間にテレビが一台しかない家では、見る番組は、雑誌を開いた人の鉛筆の印で決まります。TVガイドを開いて最初に探した番組は何で、あなたの家のテレビはどの部屋のどの向きに置かれていましたか?

東京ニュース通信社のTVガイドを思い出す三つの手がかり

  1. 東京ニュース通信社のTVガイドにまつわる場所を一つ思い浮かべます。家、学校、駅前、友だちの家など、名前が出てこなくても構いません。
  2. そこで一緒にいた人と、音・匂い・手触りのどれかを書き添えます。曖昧なところは「たぶん」「覚えていない」で大丈夫です。
  3. いまの自分へ一言だけ残します。正解を書く欄はありません。次に誰かとその話をするときの入口になります。

出典と編集方針

このページは、公開資料で時代背景を確認しつつ、特定の世代の体験を一つに決めつけない読みものとして編集しています。地域や家庭による違いがあります。あなたの記憶と違う箇所は、間違い探しではなく会話のきっかけとして扱ってください。