あアノコロ記憶のタイムマシン
60代 街・暮らし

昭和38年(1963年)ごろのナショナルのハイトップ乾電池|豆電球をともした、小学校の実験の机

懐中電灯にも、実験の豆電球にも、同じ形の乾電池が入っていた時期があります。昭和38年〜昭和42年(1963〜1967年ごろ)のナショナルのハイトップ乾電池について、パナソニックの乾電池の歴史ページと、読者が寄せた思い出の記事で、発売の年と記憶の色を確かめました。

昭和38年〜昭和42年(1963〜1967年ごろ)のナショナルのハイトップ乾電池を再現したイメージ。小学校の教室の傷のある木の机の上に、無地の赤い金属の円筒形の乾電池が一本立ち、同じ電池が二本横たわり、白い陶器の台座に付いた小さな豆電球が細い銅線でつながれ、窓の光の中で消えている。
昭和38年〜昭和42年(1963〜1967年ごろ)のナショナルのハイトップ乾電池を再現したイメージ。小学校の教室の傷のある木の机の上に、無地の赤い金属の円筒形の乾電池が一本立ち、同じ電池が二本横たわり、白い陶器の台座に付いた小さな豆電球が細い銅線でつながれ、窓の光の中で消えている。(イメージ)

60代の時間軸

パナソニックの乾電池の歴史ページによると、1931年に「ナショナル」ブランドを初めて採用した角型電池式ランプの本格的な普及を図るため、乾電池の自社生産を始め、角型ランプ用マンガン乾電池「ナショナル乾電池」を発売しました。1954年には、国産初の完全金属外装の「ナショナル ハイパー」が出て、主に懐中電灯やランプに使われました。1963年に、ハイパーと比べて2倍長もちする「ナショナル ハイトップ」が発売されます。

家の中では懐中電灯の中に、学校では実験の机の上にありました。家電 Watchの読者投稿には、小学校の実験教材で豆電球をともしたこと、マブチのモーターを回したことが思い出として並びます。

手に取ると、円筒は見た目より重く、側面を指の腹でなでれば、金属の外装の冷たさが伝わってきます。豆電球の台座にむき出しの銅線をつなぐと、小さな光がぽっとともる。出っ張った小さな頭に、銅線の先を当てる位置を探す時間が、教室ではひどく長く感じられました。

1969年には、ハイパーの3倍長もちするネオハイトップが出ました。読者投稿は、赤いハイトップと黒いネオハイトップを並べ、黒いほうが高級な感じがして、実際に価格も少し高かったと書きます。デカいステレオラジカセに8本入れた日の思い出も、そのあとの時代のものです。

投稿者は「昭和時代をそこそこ長く過ごした人は、乾電池とは赤い「ハイトップ」をイメージするのではないでしょうか」と書きました。ただ、これは一人の思い出で、公式の歴史ページに色の記述はありません。学校で支給された電池と、家の戸棚にあった電池と、店先で自分で選んだ電池は、同じ型でも、時期によって別の色だったかもしれません。学校で配られたハイトップは赤い胴でしたか、それとも黒いネオハイトップを持っている子がいましたか?

ナショナルのハイトップ乾電池を思い出す三つの手がかり

  1. ナショナルのハイトップ乾電池にまつわる場所を一つ思い浮かべます。家、学校、駅前、友だちの家など、名前が出てこなくても構いません。
  2. そこで一緒にいた人と、音・匂い・手触りのどれかを書き添えます。曖昧なところは「たぶん」「覚えていない」で大丈夫です。
  3. いまの自分へ一言だけ残します。正解を書く欄はありません。次に誰かとその話をするときの入口になります。

出典と編集方針

このページは、公開資料で時代背景を確認しつつ、特定の世代の体験を一つに決めつけない読みものとして編集しています。地域や家庭による違いがあります。あなたの記憶と違う箇所は、間違い探しではなく会話のきっかけとして扱ってください。