あアノコロ記憶のタイムマシン
50代 街・暮らし

昭和45年(1970年)ごろのタイガー魔法瓶の電子ジャー「炊きたて」|台所の隅で、花柄の胴がごはんを温めていた

炊いたごはんを、食卓まで温かいままにしておく道具がありました。昭和45年〜昭和49年(1970〜1974年ごろ)のタイガー魔法瓶の電子ジャー「炊きたて」について、会社の公式ヒストリーと発売50周年のニュースリリースで発売の年と売れ方を確かめました。

昭和45年〜昭和49年(1970〜1974年ごろ)のタイガー魔法瓶の電子ジャー「炊きたて」を再現したイメージ。日が傾く和室の低い木のちゃぶ台の上に、赤いハイビスカスのような花柄が胴をめぐるクリーム色のずんぐりした電子ジャーがあり、丸いつまみのふた、まとめた細い電源コード、ぼんやり見える白いごはん茶碗が写っている。
昭和45年〜昭和49年(1970〜1974年ごろ)のタイガー魔法瓶の電子ジャー「炊きたて」を再現したイメージ。日が傾く和室の低い木のちゃぶ台の上に、赤いハイビスカスのような花柄が胴をめぐるクリーム色のずんぐりした電子ジャーがあり、丸いつまみのふた、まとめた細い電源コード、ぼんやり見える白いごはん茶碗が写っている。(イメージ)

50代の時間軸

タイガー魔法瓶の公式ヒストリーは、1970年に電気ジャー「炊きたて」を発売したと記し、これを現在の電子ジャーの第1号商品としています。発売1年後の1971年12月には100万台を突破し、1972年5月発売の電子ジャー「炊きたて」(DFC型)は、20社近くがしのぎを削る激しい市場で驚異的なヒットになりました。社史は成功の要因に、ご飯がこびりつかないフッ素加工の飯器、斬新な花柄のデザイン、テレビとラジオのCMを挙げています。このころの電子ジャーはご飯を保温するための道具で、炊く機能を加えた炊飯電子ジャー「炊きたてダブル」が出るのは1974年です。

炊いたごはんを電子ジャーに移して、食べるときにそこからよそう。使い方はそれだけで、朝に炊いた分が、昼にも夕方にも温かいまま出てきます。炊く台所と食べる食卓が離れていても、ごはんの温度は台所の隅の一台が受け持ちました。

ふたを持ち上げると、湯気と一緒に、少しこもったごはんの匂いが顔にあたります。社史がこびりつかないと書くフッ素加工の飯器の内側は、しゃもじを滑らせても米粒が壁に残りにくい。台所の隅か食器棚のそばに置かれた胴には花柄がめぐらせてあり、保温中は表面がほんのり温かく、細い電源コードがコンセントまで足もとを這っていました。ラジオやテレビからは、「タイガー電子ジャー「炊きたて」」と軽やかなメロディが流れたと、社史にあります。

今のジャー炊飯器は、炊く機能が入っているのが当たり前です。タイガーの発売50周年のニュースリリースは、炊きたてシリーズを1970年に初代モデルを発売して以来のものと説明し、社史は、このブランドが発売以降50年以上たった今も炊飯器のブランドとして使われていると書いています。1970年の電子ジャーは、炊くところは受け持たず、温かく保つことだけを受け持つ道具でした。

たとえば、ジャーが食卓のすぐ脇の棚にあって、よそう役目が年長の子に決まっていた家があります。台所の奥に置かれていて、取りにいくのが面倒で、炊飯のなべから直接よそう日もあった家もあるはずです。胴の花柄の大きさや色、置き場所、保温したまま置いておく時間は、家ごとに違いました。炊きたての胴に描かれていた花は、何色で、台所のどこに置かれていましたか?

タイガー魔法瓶の電子ジャー「炊きたて」を思い出す三つの手がかり

  1. タイガー魔法瓶の電子ジャー「炊きたて」にまつわる場所を一つ思い浮かべます。家、学校、駅前、友だちの家など、名前が出てこなくても構いません。
  2. そこで一緒にいた人と、音・匂い・手触りのどれかを書き添えます。曖昧なところは「たぶん」「覚えていない」で大丈夫です。
  3. いまの自分へ一言だけ残します。正解を書く欄はありません。次に誰かとその話をするときの入口になります。

出典と編集方針

このページは、公開資料で時代背景を確認しつつ、特定の世代の体験を一つに決めつけない読みものとして編集しています。地域や家庭による違いがあります。あなたの記憶と違う箇所は、間違い探しではなく会話のきっかけとして扱ってください。