あアノコロ記憶のタイムマシン
40代 ゲーム・遊び

昭和60年(1985年)ごろの任天堂のファミコンロボット|テレビの光を目で受けて、ブロックを積んでいた居間の床

画面の博士に指示を出すと、目の前のロボットが本当に腕を動かします。昭和60年〜平成元年(1985〜1989年ごろ)の任天堂のファミコンロボットについて、任天堂の開発者座談の注釈と、ファミ通.com、GIGAZINEの記事から、発売日と二つの専用ソフトの中身を確かめました。

昭和60年〜平成元年(1985〜1989年ごろ)の任天堂のファミコンロボットを再現したイメージ。夕方の窓の光と天井灯が当たる居間の低い机の脇に、白と淡い灰色の四角い胴の小さなロボットが丸い灰色の台に立ち、暗い目の帯のある丸い頭と灰色の腕の先の小さなはさみ状の手を少し上げ、前の小さなトレイには無地の赤・黄・青のブロックが積まれ、消えたテレビが正面にある。
昭和60年〜平成元年(1985〜1989年ごろ)の任天堂のファミコンロボットを再現したイメージ。夕方の窓の光と天井灯が当たる居間の低い机の脇に、白と淡い灰色の四角い胴の小さなロボットが丸い灰色の台に立ち、暗い目の帯のある丸い頭と灰色の腕の先の小さなはさみ状の手を少し上げ、前の小さなトレイには無地の赤・黄・青のブロックが積まれ、消えたテレビが正面にある。(イメージ)

40代の時間軸

任天堂の開発者座談の注釈は、横井軍平さんを、ゲーム&ウオッチやゲームボーイのほか、ファミコンロボットも世に送り出した開発者と紹介しています。ファミ通.comによると、発売は1985年7月26日。GIGAZINEには型番がHVC-012と載っています。ロボットは単体では動きません。同日に発売された『ブロックセット』などの専用ソフトが必要でした。

ブロックセットでは、画面の博士を操作してロボットへ信号を送ります。ロボットは、目の前のブロックを実際に組み替えました。2人で対戦することもできたと、GIGAZINEは書いています。

ロボットは、テレビ画面から送られる光信号を目のセンサーで読み取って動きます。週刊アスキーは、ソフトを操作するたびに画面がちらっと光り、それをロボットが解釈する仕組みだと説明しています。ブロックが正しく積まれたかどうかは、ソフトは判別せず、プレイヤー自身が確かめる必要がありました。もう一つの『ジャイロセット』には、2個のコマ、コマホルダー、コマスピナーが付いていました。ロボットのトレイにIIコントローラーを置くと、ロボットがコマを押し下げる動きがA・Bボタンと連動し、画面のゲートが上下します。腕が回るたびに、居間の床に小さな機械の気配が広がりました。

いまのゲームは、画面の中で全部が終わります。当時は、画面の外の床に置いた物が、画面の光に答えて動きました。海外ではR.O.B.という名で、本体や光線銃との同梱版が発売されたと、ファミ通.comは書いています。

ロボット対応のソフトは、この2作で終わりました。どちらか片方だけを買った家では、ロボットの記憶もその片方のものです。ブロックセットしか持たなかった家では、ロボットはひたすらブロックを運ぶ道具でした。ジャイロセットを遊んだ家では、コマを回す係と画面を見る係に分かれて、親や兄弟と声をかけ合ったかもしれません。週刊アスキーは、一日中テレビ放送をロボットに見せていたと書いています。ジャイロセットのコマを回すとき、ロボットのトレイにはどのコントローラーを置き、画面は誰が見ていましたか?

任天堂のファミコンロボットを思い出す三つの手がかり

  1. 任天堂のファミコンロボットにまつわる場所を一つ思い浮かべます。家、学校、駅前、友だちの家など、名前が出てこなくても構いません。
  2. そこで一緒にいた人と、音・匂い・手触りのどれかを書き添えます。曖昧なところは「たぶん」「覚えていない」で大丈夫です。
  3. いまの自分へ一言だけ残します。正解を書く欄はありません。次に誰かとその話をするときの入口になります。

出典と編集方針

このページは、公開資料で時代背景を確認しつつ、特定の世代の体験を一つに決めつけない読みものとして編集しています。地域や家庭による違いがあります。あなたの記憶と違う箇所は、間違い探しではなく会話のきっかけとして扱ってください。