あアノコロ記憶のタイムマシン
40代 ゲーム・遊び

昭和55年(1980年)ごろの任天堂のゲーム&ウオッチ|時計の「:」を削って人形と玉を並べた、銀色の小さな液晶

液晶の中には、数字を出すための細い線が72本分入っていました。昭和55年〜昭和59年(1980〜1984年ごろ)に出た任天堂のゲーム&ウオッチの第1弾「ボール」について、任天堂の公式ページと開発者の座談、GAME Watchの記事を突き合わせ、発売日と値段、画面の仕組みを確かめました。

昭和55年〜昭和59年(1980〜1984年ごろ)の任天堂のゲーム&ウオッチを再現したイメージ。明るい窓の光が当たる淡い木目の教室の机の上に、銀色に光る薄い長方形の携帯ゲーム機が置かれ、上半分に電源の入っていない灰色の小さな液晶があり、前面の下側に丸い黒いボタンが二つ見え、後ろには無地の筆箱がぼやけている。
昭和55年〜昭和59年(1980〜1984年ごろ)の任天堂のゲーム&ウオッチを再現したイメージ。明るい窓の光が当たる淡い木目の教室の机の上に、銀色に光る薄い長方形の携帯ゲーム機が置かれ、上半分に電源の入っていない灰色の小さな液晶があり、前面の下側に丸い黒いボタンが二つ見え、後ろには無地の筆箱がぼやけている。(イメージ)

40代の時間軸

任天堂の公式ページは、ゲーム&ウオッチを1980年に発売された任天堂初の携帯型液晶ゲーム機と紹介しています。GAME Watchの記事では、発売日は1980年4月28日で、価格は各5,800円。第1弾が『ボール』で、のちに50種類を超える機種が出て、世界累計は約4,300万台に達したそうです。最初のシリーズは銀色の本体で、画面の液晶はモノクロでした。

『ボール』は、画面の中央に立つ人形が、落ちてくる玉を受け取るゲームです。ボタンで人形を動かし、玉が下へ落ちる前に腕で受け止めます。小さな液晶の中で動くのは、人形と玉だけでした。

任天堂の社長が訊く「ゲーム&ウオッチ」で、開発に関わった人たちは、使ったチップが電卓と同じものだったと話しています。電卓の数字は7個の部品の組み合わせで表すので、8桁の計算ができるチップなら72セグメントを表示できる。右上の四桁の数字に28セグメントを使い、残りの44セグメントで人形と玉を表示した、という説明です。四桁の真ん中に時刻の「:」が無いのは、時計の機能があとから足されたからだろうと、デザインを担当した人が推測しています。液晶の灰色の画面を斜めにのぞくと、人形の腕だけが濃く浮かびました。ボタンを押すたびに指先へ小さな手ごたえが返り、教室では、その音を机の下で消そうとした人がいました。

いまのゲーム機は、画面全体を絵として描きます。ゲーム&ウオッチは、決まった形の線が点いたり消えたりするだけでした。2020年に発売された「ゲーム&ウオッチ スーパーマリオブラザーズ」には、キャラクターをマリオにした「ボール」が収録されています。

第2弾の『フラッグマン』は、同じ1980年の6月に発売されたと座談の注釈にあります。4月に買った家と6月に買った家とでは、最初の一台が違っていたはずです。時計として机に置いていた家もあれば、遊ぶときだけ引き出しから出す家もありました。座談では、横井軍平さんが新幹線で電卓を遊ぶ人を見たのが始まりという話が出ますが、デザイン担当の人は経緯を知らないと答えています。最初の一台がどれだったか、いつ誰から見せられたかは、人の数だけ違うでしょう。最初に「ボール」を見せてもらったとき、画面の右上にある四桁の数字は、時刻と点数のどちらに見えましたか?

任天堂のゲーム&ウオッチを思い出す三つの手がかり

  1. 任天堂のゲーム&ウオッチにまつわる場所を一つ思い浮かべます。家、学校、駅前、友だちの家など、名前が出てこなくても構いません。
  2. そこで一緒にいた人と、音・匂い・手触りのどれかを書き添えます。曖昧なところは「たぶん」「覚えていない」で大丈夫です。
  3. いまの自分へ一言だけ残します。正解を書く欄はありません。次に誰かとその話をするときの入口になります。

出典と編集方針

このページは、公開資料で時代背景を確認しつつ、特定の世代の体験を一つに決めつけない読みものとして編集しています。地域や家庭による違いがあります。あなたの記憶と違う箇所は、間違い探しではなく会話のきっかけとして扱ってください。