あアノコロ記憶のタイムマシン
60代 街・暮らし

昭和48年(1973年)ごろの桃屋「ごはんですよ!」の瓶|夕飯の声と黒いのり佃煮

昭和48年〜昭和52年(1973〜1977年ごろ)の桃屋「ごはんですよ!」の瓶を手がかりに、白いご飯にのり佃煮をのせた夕飯の場面を振り返ります。桃屋の公式沿革と開発秘話で発売年と名前の由来を確かめ、瓶の重さや香り、今との違いをたどります。

昭和48年〜昭和52年(1973〜1977年ごろ)の桃屋「ごはんですよ!」の瓶を再現したイメージ。夕食の食卓に置かれた、黒く光るのり佃煮の入った小さなガラス瓶と、湯気の立つご飯。
昭和48年〜昭和52年(1973〜1977年ごろ)の桃屋「ごはんですよ!」の瓶を再現したイメージ。夕食の食卓に置かれた、黒く光るのり佃煮の入った小さなガラス瓶と、湯気の立つご飯。(イメージ)

60代の時間軸

桃屋の沿革と開発秘話は、「江戸むらさき ごはんですよ!」を昭和48年(1973年)に発売したと伝えています。開発秘話によれば、商品名に悩んでいたときに夕飯の支度を終えた家族の「ご飯ですよ」という声がきっかけになったそうです。この記事は発売年を起点にした回想で、どの家庭にも同じ時期に届いたわけではありません。

食卓に出した小さな瓶のふたを開け、スプーンですくって熱いご飯の上にのせます。子どもがのせすぎないよう親が取り分ける家、瓶ごと回して各自でのせる家など、食べ方には家の決まりがありました。瓶の内側に残ったのりを最後までこそげ取った人もいるでしょう。

夕飯の食卓、朝ご飯のちゃぶ台、夜食の台所。ガラス瓶のずっしりとした重さ、ふたを開けた瞬間の甘じょっぱい磯の香り、ご飯の熱でゆるむとろりとした手ざわりが、家の灯りの色と重なります。黒く光るのりが白いご飯に広がる様子を覚えている人も多いはずです。

いまはご飯のお供が数えきれないほど並び、のり佃煮も小さな容器や減塩タイプなど選べるようになりました。家族そろって同じ時間に夕飯を食べる家も、昔より減ったかもしれません。瓶を回して分け合う場面が少なくなったことも、今との違いの一つです。

「ごはんですよ」と声をかけてくれたのは、あなたの家では誰でしたか。その声のあとに並んだおかずや、瓶を置いた場所を思い出すと、その頃の夕暮れの空気まで戻ってくるかもしれません。家ごとの違いを、そのまま思い出してみてください。

桃屋「ごはんですよ!」の瓶を思い出す三つの手がかり

  1. まず、60代の桃屋「ごはんですよ!」の瓶にまつわる「場所」を一つ思い出します。家、学校、駅前、友だちの家など、固有名詞がなくても構いません。
  2. 次に、その場所で一緒にいた人と、音・匂い・手触りのどれかを一つ添えます。記憶が曖昧な部分は「たぶん」「覚えていない」と書いて大丈夫です。
  3. 最後に、いまの自分へ一言だけ残します。正しい答えを作るためではなく、次に誰かと話せる入口をつくるためのメモです。

思い出の問い「ごはんですよ!」の瓶は、どんな日のどんな献立の横に置かれていましたか?

出典と編集方針

このページは、公開資料で時代背景を確認しつつ、特定の世代の体験を一つに決めつけない読みものとして編集しています。地域や家庭による違いがあります。あなたの記憶と違う箇所は、間違い探しではなく会話のきっかけとして扱ってください。