あアノコロ記憶のタイムマシン
40代 テレビ・映画

平成5年(1993年)ごろのカルビーの堅あげポテト|ばりっと割れる一枚をかみしめながら見た夜のテレビ

平成5年〜平成9年(1993〜1997年ごろ)のカルビーの堅あげポテトを手がかりに、かたい一枚をかみしめながらテレビを見たころを振り返ります。カルビーの公式メディアに載った開発者の対談で、北海道限定で発売された年月や釜揚げ製法、全国に広がるまでの経緯を確かめ、食感や音、今との違いをたどります。

平成5年〜平成9年(1993〜1997年ごろ)のカルビーの堅あげポテトを再現したイメージ。夜の居間の低いテーブルに置いた、口を開けた無地の紺色の袋と、そこからのぞく厚くて波打つ黄金色のポテトチップス。
平成5年〜平成9年(1993〜1997年ごろ)のカルビーの堅あげポテトを再現したイメージ。夜の居間の低いテーブルに置いた、口を開けた無地の紺色の袋と、そこからのぞく厚くて波打つ黄金色のポテトチップス。(イメージ)

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40代の時間軸

カルビーの公式メディアに載った開発者の対談によると、同社は1975年にポテトチップスを初めて発売して以来、高校生や大学生を中心に商品を出してきましたが、大人向けのポテトチップスを作ろうと考え、欧米で「ケトルチップ」と呼ばれていた堅い食感のものに目をつけました。開発の担当が決まったのは1992年で、スライスしたじゃがいもをひと釜ごとに入れ、低温で長時間揚げる「釜揚げ製法」で堅さを出したそうです。そして1993年11月8日、市場で受け入れられるかを確かめるため、まず北海道限定で発売されました。この記事は発売年を起点にした回想の目安で、どの地域にも同じ年に並んだという意味ではありません。

袋を開けて一枚取り出すと、ふつうのポテトチップスよりも厚く、表面が波打っています。前歯で割らずに奥歯でかみしめる人もいれば、小さく割ってから口に入れる人もいました。対談では、おつまみにより向くと考えて作ったと語られていて、大人が晩酌のお供にした家もあれば、子どもがその堅さをおもしろがって食べた家もあったでしょう。北海道のおみやげとして先に知った人もいるかもしれません。

夜の居間のテレビの前、旅行帰りの車の中、友だちの部屋のカーペットの上。袋の中で一枚どうしが当たるかしゃかしゃという音、かみしめたときのばりっという響き、じゃがいもの香ばしい匂いと指先に残る塩気を覚えている人もいるでしょう。静かな場面のテレビを見ながら食べると、自分の噛む音が意外に大きく聞こえて、少し気になったことがあったかもしれません。

対談によると、生産の課題を解決しながら少しずつ販売地域を広げ、全国に行き渡るまでには12年かかりました。1998年からは「堅」を大きく墨文字で書いたパッケージにし、「噛むほどに旨い」という声をもとにした言葉も袋に入れたそうです。肩をあげて「かたあげー!」と叫ぶダジャレのテレビCMは目指す世界観と遠かったと振り返られていて、1999年の「ブラックペッパー」までは「うすしお味」一本で売っていたとも語られています。いまは味の種類も増え、全国の店で当たり前に見かけます。

晩酌のお供として親が食べていたのを横からもらった人もいれば、自分で選んだ最初の大人っぽいお菓子だった人もいます。住んでいた地域によっては、店に並ぶのがずいぶんあとだった人もいるでしょう。思い出す場面は、そのころの家族の過ごし方やテレビの見方によって違うはずです。あなたが堅あげポテトのかたい一枚をかみしめていたのは、どこで、何を見ながらでしたか?

カルビーの堅あげポテトを思い出す三つの手がかり

  1. まず、40代のカルビーの堅あげポテトにまつわる「場所」を一つ思い出します。家、学校、駅前、友だちの家など、固有名詞がなくても構いません。
  2. 次に、その場所で一緒にいた人と、音・匂い・手触りのどれかを一つ添えます。記憶が曖昧な部分は「たぶん」「覚えていない」と書いて大丈夫です。
  3. 最後に、いまの自分へ一言だけ残します。正しい答えを作るためではなく、次に誰かと話せる入口をつくるためのメモです。

思い出の問いあなたが堅あげポテトのかたい一枚をかみしめていたのは、どこで、何を見ながらでしたか?

出典と編集方針

このページは、公開資料で時代背景を確認しつつ、特定の世代の体験を一つに決めつけない読みものとして編集しています。地域や家庭による違いがあります。あなたの記憶と違う箇所は、間違い探しではなく会話のきっかけとして扱ってください。