あアノコロ記憶のタイムマシン
70代 街・暮らし

昭和33年(1958年)ごろの富士重工業のスバル360|家の前に止まった丸い屋根の小さな車

昭和33年〜昭和37年(1958〜1962年ごろ)の富士重工業のスバル360を手がかりに、家族で初めて乗った小さな車の記憶を振り返ります。日本機械学会の機械遺産の解説とSUBARUの歴史のページで販売開始の年と設計の考え方を確かめ、エンジンの音や車内の狭さ、今との違いをたどります。

昭和33年〜昭和37年(1958〜1962年ごろ)の富士重工業のスバル360を再現したイメージ。土の道に面した木造の家の前に止めた、丸い屋根と小さな丸いライトを持つ淡いクリーム色の小型の車。
昭和33年〜昭和37年(1958〜1962年ごろ)の富士重工業のスバル360を再現したイメージ。土の道に面した木造の家の前に止めた、丸い屋根と小さな丸いライトを持つ淡いクリーム色の小型の車。(イメージ)

70代の時間軸

日本機械学会の機械遺産の解説によると、昭和30年(1955年)に通産省が国民車構想を発表し、それに呼応する形でスバル360は昭和33年(1958年)に販売が始まりました。全長3m以下、全幅1.3m以下、排気量360cc以下という日本独自の軽自動車の規格で、最初のヒット作になったと書かれています。大人4人が乗れて路線バスの通る道はすべて走れることを目指し、航空技術を応用したモノコックボディで最高速度83km/hを可能にしたそうです。最終的な価格は36.5万円で、昭和45年(1970年)の生産終了までに39万台余りが作られました。この記事は販売開始の年を起点にした回想の目安で、どの家にも同じころ車が来たという意味ではありません。

SUBARUの歴史のページは、国民車構想の時代に「手の届く価値のクルマが欲しい」という願いに応えた車として、1958年のスバル360を挙げています。家で買った車として休みの日に親戚の家まで走らせた人もいれば、近所の医者や商店の人が乗っているのを道ばたで眺めていた子もいました。後ろの席に子どもを並べ、荷物は足もとに置いて、少し遠くの海や山まで出かけた家もありました。

舗装されていない家の前の道、町の小さな修理工場、親戚の家の庭先。後ろから聞こえるぱたぱたという軽いエンジンの音、薄い屋根に当たる雨の音、夏の車内にこもるビニールの座席の熱と匂い、坂道でぐっと重くなる走りを覚えている人もいるでしょう。丸い形から「てんとう虫」と呼ばれたと解説にあり、車の名前より先にその呼び名で覚えた人もいるかもしれません。

機械遺産の解説によると、最初に作られた60台のうちの1台が、群馬県太田市のスバルビジターセンターに保存されています。いまの軽自動車は同じ「軽」の名前でも車内が広く、冷房も当たり前になりました。一家に一台の車が珍しかったころと違い、車は家族の誰かが毎日使う道具になり、家の前に車が止まるだけで近所の子が集まってくるような光景は、ずいぶん少なくなりました。

家族で詰めて乗った週末の遠出、近所の人の車に乗せてもらった一回、道ばたで見送った丸い後ろ姿。思い出す場面は、住んでいた町や家の暮らしぶりによって大きく違うはずです。乗った記憶はなくても、形だけははっきり覚えている人もいるでしょう。あなたが初めて乗ったスバル360は、誰の車で、どこへ向かう道でしたか?

富士重工業のスバル360を思い出す三つの手がかり

  1. まず、70代の富士重工業のスバル360にまつわる「場所」を一つ思い出します。家、学校、駅前、友だちの家など、固有名詞がなくても構いません。
  2. 次に、その場所で一緒にいた人と、音・匂い・手触りのどれかを一つ添えます。記憶が曖昧な部分は「たぶん」「覚えていない」と書いて大丈夫です。
  3. 最後に、いまの自分へ一言だけ残します。正しい答えを作るためではなく、次に誰かと話せる入口をつくるためのメモです。

思い出の問いあなたが初めて乗ったスバル360は、誰の車で、どこへ向かう道でしたか?

出典と編集方針

このページは、公開資料で時代背景を確認しつつ、特定の世代の体験を一つに決めつけない読みものとして編集しています。地域や家庭による違いがあります。あなたの記憶と違う箇所は、間違い探しではなく会話のきっかけとして扱ってください。