あアノコロ記憶のタイムマシン
60代 街・暮らし

昭和44年(1969年)ごろの日産のフェアレディZ|夕暮れのパーキングエリアで長いボンネットを眺めたスポーツカー

昭和44年〜昭和48年(1969〜1973年ごろ)の日産のフェアレディZを、高速道路の時代に現れた低い車として振り返ります。日産ヘリテージコレクションとニュースリリース、JAF Mateの記事で発表日と型の違い、世界での販売台数を確かめ、黒い室内や排気音の記憶をたどります。

昭和44年〜昭和48年(1969〜1973年ごろ)の日産のフェアレディZを再現したイメージ。橙と青に染まった夕暮れの高速道路のパーキングエリアに停めた、長いボンネットと奥まった丸いライトを持つ低い銀色の2人乗りのスポーツカーと、灯り始めた橙色の照明。
昭和44年〜昭和48年(1969〜1973年ごろ)の日産のフェアレディZを再現したイメージ。橙と青に染まった夕暮れの高速道路のパーキングエリアに停めた、長いボンネットと奥まった丸いライトを持つ低い銀色の2人乗りのスポーツカーと、灯り始めた橙色の照明。(イメージ)

60代の時間軸

JAF Mateの記事によると、初代フェアレディZ(S30型)が発表されたのは1969年10月18日です。高速道路網の整備とモータースポーツの盛り上がりを背景に、高性能な車を求める声に応えて開発されました。日産のニュースリリースも「1969年の発売以降」と書いています。日産ヘリテージコレクションの解説では、北米ではダットサン240Zの名で売られ、初代は世界で520,000台以上が売れ、単一の型のスポーツカーとして最多の記録になりました。

国内で選べたのはZ、Z-L、Z432の3種類でした。ZとZ-LはL20型の2L直列6気筒で130PS、Zは4速、上の仕様のZ-Lは5速のマニュアルで、AMラジオ付きのカーステレオや助手席の足置きも付いていました。

夕方の東名や名神のパーキングエリアで、トラックや家族の車の列から少し離れて、銀色のZが低く停まっています。ボンネットの先に沈んだ丸いライト、ガラスの大きな後ろの窓。運転していた人が戻ってきてドアを開けると、JAF Mateが写真で見せる黒一色の室内と、真ん中の大きなタコメーターがのぞきます。エンジンがかかると6気筒の低い音が駐車場のコンクリートに響き、走り去ったあとに排気の匂いが少しだけ残りました。売店で買ったアイスを持ったまま、照明がともり始めるまでその場を動かなかった子どももいました。

いちばん速い型のZ432は、6気筒の4バルブDOHCのS20型を積んで160PSでした。ヘリテージコレクションは、名前の「432」が4バルブ、3キャブレター、2本のカムシャフトを表すこと、値段が基本の型のほぼ倍だったことを記しています。JAF Mateによれば最高速度は210km/hです。いまの車は排気ガスや安全の基準が細かく決められ、背の低いスポーツカーは選べる車種が少なくなりました。

若いころに自分で買った人、雑誌の写真で見ていただけの人、ミニカーで持っていた人で、記憶の重さはまったく違います。地方では道路を走っているのを見ること自体がまれで、修理工場の奥に一台あるのを知っているだけで話題になりました。あなたが初めてフェアレディZを間近で見たのは、どこに停まっていたときでしたか?

日産のフェアレディZを思い出す三つの手がかり

  1. 日産のフェアレディZにまつわる場所を一つ思い浮かべます。家、学校、駅前、友だちの家など、名前が出てこなくても構いません。
  2. そこで一緒にいた人と、音・匂い・手触りのどれかを書き添えます。曖昧なところは「たぶん」「覚えていない」で大丈夫です。
  3. いまの自分へ一言だけ残します。正解を書く欄はありません。次に誰かとその話をするときの入口になります。

出典と編集方針

このページは、公開資料で時代背景を確認しつつ、特定の世代の体験を一つに決めつけない読みものとして編集しています。地域や家庭による違いがあります。あなたの記憶と違う箇所は、間違い探しではなく会話のきっかけとして扱ってください。