あアノコロ記憶のタイムマシン
50代 街・暮らし

昭和57年(1982年)ごろの三菱のパジェロ|屋根にスキー板を積んで雪の駐車場に並んだ四角い四輪駆動車

昭和57年〜昭和61年(1982〜1986年ごろ)の三菱のパジェロを、休みの日の遠出を変えた四輪駆動車として振り返ります。三菱自動車のニュースリリースと日本自動車殿堂の資料で発売年と値段、ラリーでの記録を確かめ、スキー場の駐車場の冷たさや高い座席の記憶をたどります。

昭和57年〜昭和61年(1982〜1986年ごろ)の三菱のパジェロを再現したイメージ。晴れた冬の日のスキー場の駐車場で、雪の壁と松の木を背に停めた、白い車体の下半分が濃い紺色の角ばった2ドアの四輪駆動車と、後ろのドアの予備タイヤ、屋根のキャリアに留めた無地のスキー板。
昭和57年〜昭和61年(1982〜1986年ごろ)の三菱のパジェロを再現したイメージ。晴れた冬の日のスキー場の駐車場で、雪の壁と松の木を背に停めた、白い車体の下半分が濃い紺色の角ばった2ドアの四輪駆動車と、後ろのドアの予備タイヤ、屋根のキャリアに留めた無地のスキー板。(イメージ)

50代の時間軸

三菱自動車のニュースリリースによると、初代パジェロは、道のない場所を走る力と乗用車並みの扱いやすさを両立させた本格的なオフロードの四輪駆動車として、1982年に発売されました。日本自動車殿堂の資料は、国内ではRV(レクリエーショナル・ビーグル)ブームの火付け役になったと書いています。同じ資料に載る1982年のメタルトップ、2300ディーゼルターボの値段は189万円。2346ccの4D55型エンジンは95ps、変速機は5段に2段の副変速機が付いていました。

乗車定員は5人です。発売翌年の1983年7月には車体の長いロングボディが加わり、1985年にはオートマチックの車も選べるようになりました。週末に家族と友人を乗せてスキー場へ行き、夏は川原でキャンプをする。そんな使い方をする家が増えていった時期の車でした。

朝の駐車場は雪かきされた跡が壁のように残り、松の枝から落ちた雪の塊が屋根を叩きます。殿堂の資料の諸元で全高は1865mm、乗りこむときは手すりをつかんで体を持ち上げました。高い座席に座ると、前を走る乗用車の屋根越しに道の先が見えます。ディーゼルのエンジンはかけた直後にガラガラと大きな音を立て、暖まるまでの間、吐く息でフロントガラスが白く曇りました。屋根のキャリアからスキー板を下ろすとき、凍ったゴムひもが手袋に張りつく感触。帰り道、後ろのドアに付いた予備タイヤの上に積もった雪が、高速道路に入ったころようやく飛ばされていきました。

モータースポーツでは、発売の翌年の1983年からダカールラリーに出場し、1985年に日本車として初めて総合優勝しました。ニュースリリースによれば、同じラリーでの総合優勝は通算12回です。パジェロは2021年に生産を終えるまで4世代で累計325万台がつくられ、170ヵ国以上に輸出されました。いまは街を走る車の多くが背の高いSUVの形になり、四角い車体と予備タイヤを背負った後ろ姿は、かえって目を引くようになっています。

記憶の中のパジェロは、雪国と雪の降らない町で別の車のように見えます。雪道で頼りにされた家もあり、都会では週末の遊びの道具として憧れの対象でした。ラリーの中継で砂漠を走る姿を先に知った人もいます。パジェロの高い座席から見た道で、いちばん覚えているのはどこへ向かう道でしたか?

三菱のパジェロを思い出す三つの手がかり

  1. 三菱のパジェロにまつわる場所を一つ思い浮かべます。家、学校、駅前、友だちの家など、名前が出てこなくても構いません。
  2. そこで一緒にいた人と、音・匂い・手触りのどれかを書き添えます。曖昧なところは「たぶん」「覚えていない」で大丈夫です。
  3. いまの自分へ一言だけ残します。正解を書く欄はありません。次に誰かとその話をするときの入口になります。

出典と編集方針

このページは、公開資料で時代背景を確認しつつ、特定の世代の体験を一つに決めつけない読みものとして編集しています。地域や家庭による違いがあります。あなたの記憶と違う箇所は、間違い探しではなく会話のきっかけとして扱ってください。