あアノコロ記憶のタイムマシン
50代 街・暮らし

昭和58年(1983年)ごろのヤマハのジョグ|駅の駐輪場で赤いスクーターのミラーにヘルメットを掛けた夕方

昭和58年〜昭和62年(1983〜1987年ごろ)のヤマハのジョグを、駅や学校へ通った原付スクーターとして振り返ります。ヤマハ発動機のコミュニケーションプラザの展示解説と@DIMEの記事で、登場の年と馬力、重さ、値段や色を確かめ、2ストロークの音や匂いをたどります。

昭和58年〜昭和62年(1983〜1987年ごろ)のヤマハのジョグを再現したイメージ。夕方の郊外の駅の脇の駐輪場で、ぼやけた自転車の列の手前に停めた、角ばった赤い車体と低い足置きの付いた小さな原付スクーターと、ミラーに掛けた無地の半帽ヘルメット。
昭和58年〜昭和62年(1983〜1987年ごろ)のヤマハのジョグを再現したイメージ。夕方の郊外の駅の脇の駐輪場で、ぼやけた自転車の列の手前に停めた、角ばった赤い車体と低い足置きの付いた小さな原付スクーターと、ミラーに掛けた無地の半帽ヘルメット。(イメージ)

50代の時間軸

ヤマハ発動機のコミュニケーションプラザの展示解説によると、JOG(CE50E)は1983年に市販されたスポーツスクーターで、軽快でアクティブな「スニーカー」のイメージを開発のテーマにしていました。4.5馬力のエンジンを49kgの軽い車体に組み合わせ、若者向けの定番になったと書かれています。展示されているのは翌1984年に発売された型で、当時の値段は109,000円。@DIMEの記事は、発売のときの価格を9万9000円とし、メイプルレッド、カームイエロー、マイルドブルーといった色があったと伝えています。

使い道は、駅までの足、高校や専門学校への通学、アルバイト先への往復。自転車の次に手に入れる乗り物として、高校の卒業や就職の祝いに家へ来たこともありました。

夕方の駅前の駐輪場には、銀色の自転車の列の端に、角ばった赤や黄色のスクーターが何台も並んでいました。ミラーに掛けた半ヘルを取ってかぶり、あごひもを留め、スタンドを外して押し出します。エンジンは空冷の2ストローク単気筒、49cm³。アクセルをひねるとビーンという甲高い音が高架下に響き、白い煙と、混合油の甘いような焦げた匂いが後ろに流れました。足元は平らな床なので、通学かばんを立てて挟めます。冬の朝はハンドルのグリップが冷たく、信号待ちで膝に当たる車体の振動がしばらくのあいだ体を温めてくれました。

展示解説の諸元では、全長1,555mm、全幅605mm、全高965mm、車両重量49kg。いま駅の駐輪場に並ぶのは電動アシスト自転車が中心で、甲高い2ストロークの音を毎朝聞くことはなくなりました。

ジョグの思い出は、住んでいた町の広さで変わります。バスが少ない郊外では通学の許可を取って乗った人がいて、都市部では親に内緒で友達のを借りた話も出てきます。色を選んで買った人は、何年たってもその色の名前を覚えているようです。ジョグで毎日通った道で、いまも思い出せる曲がり角はどこにありましたか?

ヤマハのジョグを思い出す三つの手がかり

  1. ヤマハのジョグにまつわる場所を一つ思い浮かべます。家、学校、駅前、友だちの家など、名前が出てこなくても構いません。
  2. そこで一緒にいた人と、音・匂い・手触りのどれかを書き添えます。曖昧なところは「たぶん」「覚えていない」で大丈夫です。
  3. いまの自分へ一言だけ残します。正解を書く欄はありません。次に誰かとその話をするときの入口になります。

出典と編集方針

このページは、公開資料で時代背景を確認しつつ、特定の世代の体験を一つに決めつけない読みものとして編集しています。地域や家庭による違いがあります。あなたの記憶と違う箇所は、間違い探しではなく会話のきっかけとして扱ってください。