あアノコロ記憶のタイムマシン
70代 街・暮らし

昭和32年(1957年)ごろのダイハツのミゼット|米屋の前で俵を積み、狭い路地へ曲がっていった三輪の小さなトラック

昭和32年〜昭和36年(1957〜1961年ごろ)のダイハツのミゼットを、商店の配達を支えた小さな三輪車として振り返ります。ダイハツの沿革と「ダイハツの原点」で発売年月と開発のきっかけを、モーターファンの記事で積める重さと値段を確かめ、路地に響いたエンジンの音をたどります。

昭和32年〜昭和36年(1957〜1961年ごろ)のダイハツのミゼットを再現したイメージ。夕方の土の道に面した木造の米屋の前に停めた、前輪が一つで丸いライトの付いた半分開いた運転席と小さな荷台を持つ淡い緑の三輪の小型トラックと、荷台に積んだ無地の米俵。
昭和32年〜昭和36年(1957〜1961年ごろ)のダイハツのミゼットを再現したイメージ。夕方の土の道に面した木造の米屋の前に停めた、前輪が一つで丸いライトの付いた半分開いた運転席と小さな荷台を持つ淡い緑の三輪の小型トラックと、荷台に積んだ無地の米俵。(イメージ)

70代の時間軸

ダイハツの沿革には、1957年(昭和32年)8月に軽三輪自動車「ミゼット」を発売したと記されています。同社の「ダイハツの原点」によれば、当時のオート三輪は大型化して四輪トラックへ移りつつあり、ダイハツはまだ珍しかった市場調査をしました。そこで集まったのが「最近のオート三輪は、積載量は多いが価格も高いし大きすぎる、ただオートバイでは積載量が足りない」という声です。開発のきっかけには、1956年夏の雨の夜、大阪・梅田でビールを積んだスクーターが倒れて瓶が全部割れたのを販売会社の社長が見た、という話も残っています。

ねらいは「小回りが利いて、取り扱いに便利、かつ経済的」。狭い路地でも運転しやすく、小口の配送業者や商店から注文が集まりました。モーターファンの記事によると、1人乗りで積めるのは300kg、売り文句は「街のヘリコプター」でした。

朝、米屋の土間の前に横づけされたミゼットに、店の人が俵を順に転がすように載せていきます。初期の型にはドアがなく、ハンドルはオートバイのようなバーハンドルでした。運転席に座ると肩から先は外の空気にさらされ、冬は手袋をしても指が冷え、夕立が来れば膝まで濡れました。エンジンは249ccの空冷単気筒の2ストロークで、かけるとパタパタと乾いた音が路地の板塀に跳ね返り、青い煙と油の焼ける匂いが残ります。荷台の鉄板は昼過ぎには日差しで熱くなり、子どもが手をつくと思わず引っこめるほどでした。酒屋の前で空き瓶の木箱を積み下ろす音、豆腐屋のラッパ、その間を抜けていく三輪の小さな影。舗装されていない道では前輪が石を拾うたびに車体が揺れ、荷台の俵がずしりと沈みました。

モーターファンの記事によれば、車両価格は19.3万円で、当時の大卒の初任給は1.2万円ほどでした。2年後の1959年にはドアが付いて丸いハンドルになり、1972年に販売を終えています。いま町の配達を担っているのは四輪の軽トラックや軽バンで、三輪の車を店先で見ることはほとんどありません。

覚えている姿は、町の商売によって変わります。米屋や酒屋の配達を思い浮かべる人がいれば、畑から野菜を運ぶ農家の車として見ていた人もいます。家の仕事でミゼットを持っていた子どもは荷台に乗せてもらった日のことを、近所で眺めていただけの子どもはエンジンの音を、先に思い出すようです。あなたの町でミゼットがよく停まっていたのは、何のお店の前でしたか?

ダイハツのミゼットを思い出す三つの手がかり

  1. ダイハツのミゼットにまつわる場所を一つ思い浮かべます。家、学校、駅前、友だちの家など、名前が出てこなくても構いません。
  2. そこで一緒にいた人と、音・匂い・手触りのどれかを書き添えます。曖昧なところは「たぶん」「覚えていない」で大丈夫です。
  3. いまの自分へ一言だけ残します。正解を書く欄はありません。次に誰かとその話をするときの入口になります。

出典と編集方針

このページは、公開資料で時代背景を確認しつつ、特定の世代の体験を一つに決めつけない読みものとして編集しています。地域や家庭による違いがあります。あなたの記憶と違う箇所は、間違い探しではなく会話のきっかけとして扱ってください。