あアノコロ記憶のタイムマシン
40代 街・暮らし

平成8年(1996年)ごろのパナソニックのレッツノート|1.47kgの初代を鞄に入れて出張先で開いたノートパソコン

平成8年〜平成12年(1996〜2000年ごろ)のパナソニックのレッツノートを手がかりに、パソコンを会社の外へ持ち出し始めたころの働き方を振り返ります。パナソニックのニュースルームとマイナビニュースの連載で初号機の年と仕様、価格を確かめ、鞄の重みや今との違いをたどります。

平成8年〜平成12年(1996〜2000年ごろ)のパナソニックのレッツノートを再現したイメージ。蛍光灯と窓の光が入る事務所の机の上に、天板を閉じた無地の濃い灰色のノートパソコンと巻いた電源コード、白い陶器のコーヒーカップが置かれ、机の脚に黒い革の鞄が立てかけてある。
平成8年〜平成12年(1996〜2000年ごろ)のパナソニックのレッツノートを再現したイメージ。蛍光灯と窓の光が入る事務所の机の上に、天板を閉じた無地の濃い灰色のノートパソコンと巻いた電源コード、白い陶器のコーヒーカップが置かれ、机の脚に黒い革の鞄が立てかけてある。(イメージ)

40代の時間軸

パナソニックのニュースルームによると、モバイルパソコン「Let's note(レッツノート)」は1996年(平成8年)に初号機の「AL-N1」を発売しました。当時の社名は松下電器産業です。マイナビニュースの連載は発表日を1996年6月11日とし、B5サイズの本体に10.4インチのTFTカラー液晶とWindows 95、120MHzのPentium、16MBのメモリー、810MBのハードディスクを収め、3.5インチのフロッピーディスクドライブまで載せて当時業界最軽量の1.47kgだったと書いています。価格は398,000円(税別)、年産3万台が目標でした。

出張の新幹線で表計算を開き、取引先の会議室で画面を相手に向け、帰りの車内で報告書を打つ。会社のデスクトップとのファイルのやりとりは、フロッピーディスクを差し替えて済ませました。翌1997年6月11日に発表されたAL-N2は、国内初の光学式トラックボールを載せています。マウスを置く場所のない膝の上でも、ポインターを動かせるようになりました。

昼は事務机の端、夜は黒い革の鞄の底。肩にかけると、書類の束とは違う角ばった重みが片側に寄りました。天板を開くと液晶がほの白く灯り、ハードディスクがかりかりと鳴り始めます。マイナビニュースによれば、AL-N2のトラックボールは直径19mmで、表面に特殊なコーティングがされていました。親指の腹でくるりと転がす感触を、手が覚えている人もいます。

パナソニックは、初代が出た1996年を、まだデスクトップPCが主流で、パソコンを持ち運ぶ働き方が当たり前ではない時代だったと振り返っています。2000年代に入ると「CF-R1」が登場し、筐体を頑丈にする「ボンネット構造」の天板と、今のデザインにも引き継がれる円形のタッチパッド「ホイールパッド」が載りました。神戸工場で生産したWindows搭載のPCとタブレットは、レッツノートと頑丈ノートPC「タフブック」を合わせて、2023年9月に累計1,000万台に達しています。いまは無線でファイルを送り、フロッピーディスクを持ち歩く人はいません。

支給された一台に会社の管理番号のシールが貼られていた人、大学の研究室で先輩から譲られた人、父親が夜の食卓で鞄から取り出すのを横で見ていた子ども。同じ名前のパソコンでも、手にした場所で記憶の形が変わります。あなたが初めてレッツノートを開いたのは、会社の机でしたか、それとも移動中の膝の上でしたか?

パナソニックのレッツノートを思い出す三つの手がかり

  1. パナソニックのレッツノートにまつわる場所を一つ思い浮かべます。家、学校、駅前、友だちの家など、名前が出てこなくても構いません。
  2. そこで一緒にいた人と、音・匂い・手触りのどれかを書き添えます。曖昧なところは「たぶん」「覚えていない」で大丈夫です。
  3. いまの自分へ一言だけ残します。正解を書く欄はありません。次に誰かとその話をするときの入口になります。

出典と編集方針

このページは、公開資料で時代背景を確認しつつ、特定の世代の体験を一つに決めつけない読みものとして編集しています。地域や家庭による違いがあります。あなたの記憶と違う箇所は、間違い探しではなく会話のきっかけとして扱ってください。