あアノコロ記憶のタイムマシン
50代 街・暮らし

昭和56年(1981年)ごろの永谷園の麻婆春雨|フライパンひとつで春雨が赤茶色のソースを吸っていった夕食

昭和56年〜昭和60年(1981〜1985年ごろ)の永谷園の麻婆春雨を、夕食のおかずとしてフライパンで作った記憶からたどります。永谷園のニュースリリース2本と電通報の記事を読み、発売年と開発のいきさつ、袋の中身といまの売り方を確かめました。

昭和56年〜昭和60年(1981〜1985年ごろ)の永谷園の麻婆春雨を再現したイメージ。温かい天井の灯りの下の団地の食卓で、黒い鉄のフライパンに入った、ひき肉と刻みねぎをからめた赤茶色のつやのあるソースの透明な春雨と、白い器に盛った同じ料理、白いご飯の茶わん、箸、麦茶のコップ、伏せた無地の袋。
昭和56年〜昭和60年(1981〜1985年ごろ)の永谷園の麻婆春雨を再現したイメージ。温かい天井の灯りの下の団地の食卓で、黒い鉄のフライパンに入った、ひき肉と刻みねぎをからめた赤茶色のつやのあるソースの透明な春雨と、白い器に盛った同じ料理、白いご飯の茶わん、箸、麦茶のコップ、伏せた無地の袋。(イメージ)

50代の時間軸

永谷園のニュースリリースによると、麻婆春雨は同社のオリジナル商品(中華おかずの素)として1981年(昭和56年)に発売され、販売数量は2024年12月時点で累計約5億袋にのぼります。別のリリースでは商品担当者が、お茶づけの永谷園が初めて惣菜の素の市場に参入する商品として発売したと話しています。電通報の記事が紹介するいきさつはこうです。1979年、永谷園の社長がある社員に、2年間は考える仕事だけに専念してよい、好きなものを食べて行きたいところに行ってよいと告げました。国内外を回ったその社員が、中華食堂で飲んだこってりしたスープをご飯に合いそうだと感じ、春雨を使ったおかずの案が生まれたといいます。発売の最初は甘口と辛口の2品でした。

リリースによると、袋の中は「春雨」と「五目具入りソース」のセットで、材料を用意しなくても作れます。ソースには、家庭で準備しにくいきくらげ、たけのこ、豚肉、赤ピーマン、にんじんの5種の具材が入っていました。

作る場所は、団地の台所のガス台。黒い鉄のフライパンで春雨とソースを煮立てると、ぐつぐつという音とともに、透明だった春雨が赤茶色に染まり、汁気がみるみる減っていく。菜箸でほぐす手に湯気が当たり、ソースのにおいが居間まで流れて、夕飯が近いことを知らせました。食卓では白いご飯の上にのせて、たれごとかき込みます。辛口の日は舌の先がひりひりして、麦茶のコップに何度も手が伸びました。

別のリリースで担当者は、23年度の売上がここ20年で最高だったと話しています。2025年3月10日からは、初めて手に取る人にも中身が伝わるようパッケージを一新し、甘口・中辛・辛口の3種類を、137g(3人前)、希望小売価格380円(税抜)で売っています。リリースに寄せられた思い出には、なすや白菜など家の野菜を足して作るという家族や、料理が得意でなかったころに助けられたという人の話が並んでいます。

麻婆春雨の記憶は、だれが台所に立っていたかで違います。忙しい日の夕食に親が急いで作ってくれた一皿を思い出す人がいます。料理を覚えたての時期に、自分で作って家族にほめられた最初のおかずだという人もいます。肉を足して量を増やす家もあり、袋に書かれたとおりに作るのを守る家もありました。あなたの家の麻婆春雨は、袋の中身だけで作っていましたか、それとも何か野菜や肉を足していましたか?

永谷園の麻婆春雨を思い出す三つの手がかり

  1. 永谷園の麻婆春雨にまつわる場所を一つ思い浮かべます。家、学校、駅前、友だちの家など、名前が出てこなくても構いません。
  2. そこで一緒にいた人と、音・匂い・手触りのどれかを書き添えます。曖昧なところは「たぶん」「覚えていない」で大丈夫です。
  3. いまの自分へ一言だけ残します。正解を書く欄はありません。次に誰かとその話をするときの入口になります。

出典と編集方針

このページは、公開資料で時代背景を確認しつつ、特定の世代の体験を一つに決めつけない読みものとして編集しています。地域や家庭による違いがあります。あなたの記憶と違う箇所は、間違い探しではなく会話のきっかけとして扱ってください。