昭和45年(1970年)ごろのトヨタのセリカ|販売店でエンジンと内装を選んで注文した若い人の一台
昭和45年〜昭和49年(1970〜1974年ごろ)のトヨタのセリカを手がかりに、車を自分好みに選んで買うという楽しみが生まれたころを振り返ります。トヨタ自動車75年史の年表とトヨタの英文発表、東洋経済オンラインの記事で発売の年月と売り方、生産の内訳を確かめ、運転席の感覚や今との違いをたどります。

60代の時間軸
トヨタ自動車75年史の年表によると、1970年(昭和45年)11月に堤工場で「セリカ」と「カリーナ」の生産が始まり、12月に両車が発売されました。同じ月には、セリカの発売に合わせてデイリー・オーダー・システムを採り入れています。トヨタが1977年に出した英文の発表は、セリカを日本市場で初めてのスペシャルティカーと位置づけ、多様になった好みに応える「フルチョイス」の売り方を採ったと書いています。同じ発表によれば、それまでに作ったセリカのうち735,666台がクーペ、264,334台がリフトバックでした。
東洋経済オンラインの記事は、初代セリカが「カリーナ」と共通の技術を土台にしながら、ごく普通の5ナンバー車と変わらない価格で売り出されたと書いています。販売店では、エンジンや装備の組み合わせを客の好みで選んで注文できました。ところが記事によれば、この時代はまだ最上級の車種を好む人が多く、あとの下取りに有利だと考えて、いちばん上のGTを選ぶ人がかなりいたといいます。週末に恋人や友達を乗せて海へ向かう若い人もいれば、勤め先の駐車場で同僚の視線を集めた人もいました。納車の日には洗車用のバケツとセーム革を用意し、日曜の朝に家の前で磨くのが習慣になった人もいます。
長いボンネットの先を目で測りながら、海沿いの展望所に車を入れる。ドアは左右に一枚ずつで大きく、閉めると低い座席に体が沈みました。夏の日差しで熱くなったハンドル、窓を開けると入ってくる潮の匂い、アクセルを踏んだときのエンジンの太い音。
発表には、1973年にリフトバックを加えたことも書かれています。いまの車は、グレードとオプションをウェブの画面で選び、色を変えた完成図をすぐに見られます。当時は販売店のカタログと担当者の説明が頼りで、組み合わせた一台の姿は、納車の日に初めて目の前に現れました。
自分で買った人、兄や先輩の車の助手席に乗った人、町で見かけて名前を覚えただけの人。セリカとの距離は、そのころの年齢や住む町で大きく違います。あなたが初めてセリカを見たのは、販売店の店先でしたか、それとも海沿いの道を走る姿でしたか?
トヨタのセリカを思い出す三つの手がかり
- トヨタのセリカにまつわる場所を一つ思い浮かべます。家、学校、駅前、友だちの家など、名前が出てこなくても構いません。
- そこで一緒にいた人と、音・匂い・手触りのどれかを書き添えます。曖昧なところは「たぶん」「覚えていない」で大丈夫です。
- いまの自分へ一言だけ残します。正解を書く欄はありません。次に誰かとその話をするときの入口になります。
出典と編集方針
このページは、公開資料で時代背景を確認しつつ、特定の世代の体験を一つに決めつけない読みものとして編集しています。地域や家庭による違いがあります。あなたの記憶と違う箇所は、間違い探しではなく会話のきっかけとして扱ってください。
- トヨタ自動車75年史「総合年表 1961年~1970年」
- Toyota Motor Corporation「TOYOTA CELICA PRODUCTION PASSES MILLION MARK」(1977年3月30日)
- 東洋経済オンライン「昭和の時代にブームとなった『スペシャリティカー』の歴史を振り返る」
- 編集確認日:2026-10-30。出来事の事実確認と、個人の記憶・感想は分けて記載しています。