昭和48年(1973年)ごろの呉竹のくれ竹筆ぺん|年末のこたつで年賀状の宛名を書いた墨色のペン
昭和48年〜昭和52年(1973〜1977年ごろ)の呉竹のくれ竹筆ぺんを手がかりに、硯を出さずに筆文字を書けるようになったころを振り返ります。呉竹の歴史のページと「筆ぺん誕生秘話」で開発の年と動機、発売時の値段とテスト販売を確かめ、穂先の弾力や今との違いをたどります。

60代の時間軸
呉竹の歴史のページによると、奈良で墨を作ってきた同社は、サインペンの技術と墨の書き味を組み合わせ、1973年(昭和48年)に「くれ竹筆ぺん」を開発して生産を始めました。同社の「筆ぺん誕生秘話」は、結婚式の芳名帳への記帳や熨斗紙への署名、年賀状など、筆文字がふさわしい場面は多いのに、筆を苦手とする人が増えていたことを開発の出発点に挙げています。売り出すときの値段は、当初の予定の100円から、サインペンが50円の時代に200円へ変わりました。同じ年の10月にはオイル・ショックが起きます。原料を何とか集めて10万本を限定生産し、11月に大阪の代理店10社でテスト販売を始めると、12月には「これは売れる」という声が代理店から寄せられました。
テスト販売の品は、ペン本体にインキボトルと、使い方を書いた「くれ竹筆ぺん虎の巻」を組み合わせたものでした。軸の尾栓を抜き、インキを吸わせた中綿を差し込んで使います。キャップを外し、筆圧をゆっくりかけると線が太くなり、力を抜くと細くなる。呉竹の説明では、この穂先でトメやハネ、ハライも書けるようにしてあります。
年の暮れ、こたつの天板に年賀はがきの束を積み、みかんの皮をよけて宛名を書く。ナイロンの穂先は思ったより弾み、押しつけると墨色の線がにじむように広がりました。乾く前にはがきを重ねると、裏に黒い跡が移ります。キャップを閉めるときの小さな手ごたえと、インキのかすかな匂いが、年末の手仕事に混じっていました。
呉竹の歴史のページは、1980年に「くれ竹筆ぺん二本立」の開発と生産を始めたと記し、いまも同社の筆ぺんで売上がいちばん多いと紹介しています。いまは年賀状の宛名をパソコンで刷る家も多く、手で書く場面は減りました。それでも、受付の芳名帳や祝儀袋の名前は、その場でペンを取って書くことが残っています。
習字の時間の続きとして使った人、親が書く宛名をこたつの向かいで見ていた人、会社の受付で初めて手にした人。筆ぺんを持った最初の場面は人によって違います。あなたが筆ぺんで初めて書いたのは、年賀状の宛名でしたか、それとも祝儀袋の名前でしたか?
呉竹のくれ竹筆ぺんを思い出す三つの手がかり
- 呉竹のくれ竹筆ぺんにまつわる場所を一つ思い浮かべます。家、学校、駅前、友だちの家など、名前が出てこなくても構いません。
- そこで一緒にいた人と、音・匂い・手触りのどれかを書き添えます。曖昧なところは「たぶん」「覚えていない」で大丈夫です。
- いまの自分へ一言だけ残します。正解を書く欄はありません。次に誰かとその話をするときの入口になります。
出典と編集方針
このページは、公開資料で時代背景を確認しつつ、特定の世代の体験を一つに決めつけない読みものとして編集しています。地域や家庭による違いがあります。あなたの記憶と違う箇所は、間違い探しではなく会話のきっかけとして扱ってください。
- 呉竹「KURETAKE Brand History」
- 呉竹「筆ぺん誕生秘話」(「筆ぺん」へのこだわり)
- 呉竹「筆ぺん誕生秘話」(「筆ぺん」発売とオイルショック)
- 編集確認日:2026-10-30。出来事の事実確認と、個人の記憶・感想は分けて記載しています。