あアノコロ記憶のタイムマシン
70代 街・暮らし

昭和44年(1969年)ごろのホンダのドリームCB750 FOUR|海沿いの道の端に止まっていた、左右に二本ずつのマフラー

昭和44年〜昭和48年(1969〜1973年ごろ)のホンダのドリームCB750 FOURを手がかりに、街で見かけた大きなバイクを振り返ります。Honda公式のエンジン解説と75年史、日本自動車殿堂の資料で、発表日や価格、生産台数の推移を確かめました。

昭和44年〜昭和48年(1969〜1973年ごろ)のホンダのドリームCB750 FOURを再現したイメージ。晴れた午後の海沿いの道の端で、低いコンクリートの防波堤を背に、赤い涙形のタンクと左右二本ずつ計四本のめっきマフラーを持つ空冷四気筒の大型バイクが止まっている。
昭和44年〜昭和48年(1969〜1973年ごろ)のホンダのドリームCB750 FOURを再現したイメージ。晴れた午後の海沿いの道の端で、低いコンクリートの防波堤を背に、赤い涙形のタンクと左右二本ずつ計四本のめっきマフラーを持つ空冷四気筒の大型バイクが止まっている。(イメージ)

70代の時間軸

Hondaのエンジン解説によると、ドリームCB750 FOURは1969年に売り出され、一般的な量産二輪車では世界初の並列4気筒エンジンを積んでいました。日本自動車殿堂の資料は、発表を同じ年の7月18日、価格を385,000円と記しています。当初の年間予定生産台数は1500台。売り出すと注文が殺到し、この数字がそのまま月産の目標に置き換わり、全盛期には月3000台まで増えました。10年間の累計は約50万台です。75年史は、本田宗一郎でさえ最初は「こんなにデカイのに誰が乗るんだ」と驚いたと書き残しています。

大きさは乗り手を選びました。Hondaの解説は、初代のK0について足つき性の悪さやスロットル操作の重さが問題視され、1970〜71年型のK1で解消されたと説明しています。信号で止まるたびに爪先を伸ばし、右手首の疲れを肩で逃がす。そんな乗り方を、持ち主は自慢半分で語りました。バイク屋の店先で跨がらせてもらった学生のほうは、まず車体を起こすところで息が上がります。

防波堤の脇に止まった車体へ近づくと、シリンダーのフィンの間から熱が伝わってきます。海風の塩気に、焼けたオイルの匂いがはっきり混ざりました。4本の独立したマフラーは、磨かれためっきに空と水平線を細長く映しています。エンジンをかける瞬間を見届けたくて、子どもは持ち主が戻るまで堤防の上で待ちました。低い排気音が腹に響き、遠ざかってもしばらく耳に残ります。

「ナナハン」という呼び名は、殿堂の資料によると、もともとは機密を保つために開発チームの社内で使われていた言葉でした。のちに他社の750ccクラスが続き、街でこの言葉が通じるようになります。いまは大きなバイクを見ても、排気量の数字を口にする人は多くありません。

憧れとして雑誌で眺めただけの人、親戚の車体を磨かされた人、白バイの姿で覚えた人。あなたが「ナナハン」という言葉を初めて耳にしたのは、誰の口からでしたか?

ホンダのドリームCB750 FOURを思い出す三つの手がかり

  1. ホンダのドリームCB750 FOURにまつわる場所を一つ思い浮かべます。家、学校、駅前、友だちの家など、名前が出てこなくても構いません。
  2. そこで一緒にいた人と、音・匂い・手触りのどれかを書き添えます。曖昧なところは「たぶん」「覚えていない」で大丈夫です。
  3. いまの自分へ一言だけ残します。正解を書く欄はありません。次に誰かとその話をするときの入口になります。

出典と編集方針

このページは、公開資料で時代背景を確認しつつ、特定の世代の体験を一つに決めつけない読みものとして編集しています。地域や家庭による違いがあります。あなたの記憶と違う箇所は、間違い探しではなく会話のきっかけとして扱ってください。