あアノコロ記憶のタイムマシン
70代 街・暮らし

昭和42年(1967年)ごろのトヨタのハイエース|店の裏口で空き瓶の木箱を積み込んだ平たい顔のバン

昭和42年〜昭和46年(1967〜1971年ごろ)のトヨタのハイエースを手がかりに、町の配送を担った平たい顔の商用車を振り返ります。トヨタ自動車75年史の車両詳細、JAF Mate Online、Motor Fanの記事で、発売日や車種の構成、ドアの造りを確かめました。

昭和42年〜昭和46年(1967〜1971年ごろ)のトヨタのハイエースを再現したイメージ。曇り空の下、看板のない小さな店の裏口の前に、丸いライトの平たい顔をした白い箱型の商用バンが横のドアを半分開けて止まり、脇に無地の木箱に入った空のガラス瓶が積まれている。
昭和42年〜昭和46年(1967〜1971年ごろ)のトヨタのハイエースを再現したイメージ。曇り空の下、看板のない小さな店の裏口の前に、丸いライトの平たい顔をした白い箱型の商用バンが横のドアを半分開けて止まり、脇に無地の木箱に入った空のガラス瓶が積まれている。(イメージ)

70代の時間軸

トヨタ自動車75年史の車両詳細は、初代ハイエースの発売日を1967年10月2日と記しています。トヨエースより小さいキャブオーバーの車で、デリバリーバン、ワゴン、コミューター、トラックの4系列。モノコック構造のボデーに前輪独立懸架を合わせ、バンの全長は4305mm、ホイールベースは2350mmでした。JAF Mate Onlineの記事は、都市部の物流が多様化し、店舗配送や小口輸送の需要が増えた時期の車だったと説明し、4系列・11車種で出発したと伝えています。

バンには3名乗りと6名乗りがあり、荷物は500kgから850kgまで。前の席に並んで座って、後ろに商品の箱を積む使い方が基本でした。コミューターには12名乗りと15名乗りがあって、人を運ぶ仕事に向きます。75年史によると、ロングホイールベースの仕様は救急車のベース車種としても使われました。酒屋、米屋、町工場。朝の配達で一度顔を覚えると、同じ車が夕方には空き瓶を引き取りに戻ってきます。

Motor Fanの記事によれば、エンジンの位置は前席の下です。そのため座席の下から熱と振動が上がってきて、冬の朝は足もとからぬくもりました。夏は逆に、ズボンの裏が汗ばむほどです。ライトは丸目4灯、バンパーはめっきを施した鉄。同じ記事が写真で紹介したワゴンは、横の後ろのドアがヒンジ式で、開けると家の玄関ほどの開口部がありました。裏口の前では、そのドアの幅いっぱいに木箱を抱えて出入りします。積み上げた瓶は、走り出すと一本ずつが触れ合ってかちゃかちゃと鳴りました。三角窓を押し開ければ、排気と魚屋の氷の匂いが混ざった風が入ってきます。

同じ記事によると、かつてはマツダやいすゞも同じ種類の車を売っていましたが、いま日本のフルサイズの箱型は、ハイエースと日産のキャラバンの二つになっています。名前を引き継いだ現在の車を工事現場で見かけるたびに、あの低いバンパーの車とは大きさがまるで違うと気づきます。

商売の家の子どもには助手席の匂いごと記憶に残り、団地の子どもには、月に一度来る配達の車の一台だったかもしれません。あなたの町で初代ハイエースをよく見かけたのは、店の裏口、工場の門、救急の現場のどこでしたか?

トヨタのハイエースを思い出す三つの手がかり

  1. トヨタのハイエースにまつわる場所を一つ思い浮かべます。家、学校、駅前、友だちの家など、名前が出てこなくても構いません。
  2. そこで一緒にいた人と、音・匂い・手触りのどれかを書き添えます。曖昧なところは「たぶん」「覚えていない」で大丈夫です。
  3. いまの自分へ一言だけ残します。正解を書く欄はありません。次に誰かとその話をするときの入口になります。

出典と編集方針

このページは、公開資料で時代背景を確認しつつ、特定の世代の体験を一つに決めつけない読みものとして編集しています。地域や家庭による違いがあります。あなたの記憶と違う箇所は、間違い探しではなく会話のきっかけとして扱ってください。