あアノコロ記憶のタイムマシン
40代 学校・青春

平成元年(1989年)ごろの伊藤園のお〜いお茶|「煎茶」が読めなくて変わった名前と、缶に載った俳句

平成元年〜平成5年(1989〜1993年ごろ)の伊藤園のお〜いお茶を手がかりに、校外の昼に緑の缶を開けたころを振り返ります。伊藤園の年表と発売30周年の参考資料で改称の年と理由を確かめ、缶の結露や側面の俳句からペットボトルへの移り変わりまでをたどります。

平成元年〜平成5年(1989〜1993年ごろ)の伊藤園のお〜いお茶を再現したイメージ。夏の午後の光が差す公園の木のベンチに、文字のない細身のつや消しの緑色の缶が一本、水滴をつけて立ち、背景の木々はぼけている。
平成元年〜平成5年(1989〜1993年ごろ)の伊藤園のお〜いお茶を再現したイメージ。夏の午後の光が差す公園の木のベンチに、文字のない細身のつや消しの緑色の缶が一本、水滴をつけて立ち、背景の木々はぼけている。(イメージ)

40代の時間軸

伊藤園の年表によると、世界初の緑茶飲料「缶入り煎茶」の販売開始は1985年で、1989年に「お〜いお茶」へ名称を変えました。原料や加工方法、抽出方法など計67,200通りの試作を重ね、約10年かけて1984年に完成した品です。発売30周年の参考資料が、その理由を書いています。販売が伸び悩むなか「まえ茶?ぜん茶?」という問い合わせが相次ぎ、大学生に日本茶の呼び名を尋ねると「緑茶」がトップで「煎茶」は4位でした。そこで俳優の島田正吾さんがリーフ製品のCMで語りかけていた言葉を商品名に採り、1989年2月に発売。竹のデザインもこのとき決まりました。1989年度の売上金額は前年度比2倍以上の約40億円に伸びています。

同じ年に始まったのが「伊藤園お〜いお茶新俳句大賞」で、入賞の句はパッケージに載りました。飲み終えるまでの間、缶を回して五七五を読むことになります。

部活の帰りや校外学習の昼、自動販売機の取り出し口にゴトンと落ちた缶を拾うと、手のひらがすぐ冷たく濡れました。ベンチに置くと底の丸い跡が木に残ります。プルタブを引くとプシュッとは言わず、小さな音のあとに茶の匂いが少し上がりました。金属の縁に唇を当てると、渋みと一緒に缶の冷たさが前歯に来ます。友達が炭酸を飲んでいる横で緑の缶を持っていると、年寄りくさいとからかわれることもありました。夏の午後、セミの声の下で、竹の模様に水滴が筋を引いて落ちていきます。

資料によれば、世界で初めてのペットボトル入り緑茶飲料(1.5L)は1990年3月、500mlのペットボトルは1996年11月、ホット対応のものは2000年10月に発売されました。ふたを閉めて鞄に入れられるようになり、一度に飲みきる缶の時間は短くなっています。新俳句大賞の累計応募句数は、資料の時点で3,370万句を超えました。

緑の缶の記憶は、駅の売店の冷蔵ケースだったり、親の車の中だったり、塾の前の自動販売機だったりします。あなたがお〜いお茶の缶で読んだ俳句に、今も覚えている一句はありますか?

伊藤園のお〜いお茶を思い出す三つの手がかり

  1. 伊藤園のお〜いお茶にまつわる場所を一つ思い浮かべます。家、学校、駅前、友だちの家など、名前が出てこなくても構いません。
  2. そこで一緒にいた人と、音・匂い・手触りのどれかを書き添えます。曖昧なところは「たぶん」「覚えていない」で大丈夫です。
  3. いまの自分へ一言だけ残します。正解を書く欄はありません。次に誰かとその話をするときの入口になります。

出典と編集方針

このページは、公開資料で時代背景を確認しつつ、特定の世代の体験を一つに決めつけない読みものとして編集しています。地域や家庭による違いがあります。あなたの記憶と違う箇所は、間違い探しではなく会話のきっかけとして扱ってください。