あアノコロ記憶のタイムマシン
70代 学校・青春

昭和30年代(1955〜1964年ごろ)のサクラクレパスのマット水彩|塗り間違えた上から濃く溶いて重ねた図工の時間

描きそこねても、上から塗り直せる。サクラクレパスのマット水彩は、そこを狙って1950年に学童用として世に出ました。図工室の景色は昭和30年代(1955〜1964年ごろ)を目安に置き、開発の年から鉛のチューブをやめた1995年までは、同社の沿革と商品頁の「マット水彩の歴史」で確かめています。

昭和30年代(1955〜1964年ごろ)のサクラクレパスのマット水彩を再現したイメージ。午後の日が差す図工室の木の机に、無地の小さな金属チューブの絵の具が一列に並び、赤と黄と青を少し出した金属の絵の具皿、筆二本、濁った水のブリキのバケツ、布のぞうきんが置かれている。
昭和30年代(1955〜1964年ごろ)のサクラクレパスのマット水彩を再現したイメージ。午後の日が差す図工室の木の机に、無地の小さな金属チューブの絵の具が一列に並び、赤と黄と青を少し出した金属の絵の具皿、筆二本、濁った水のブリキのバケツ、布のぞうきんが置かれている。(イメージ)

70代の時間軸

サクラクレパスの沿革で、水彩絵具の製造開始は昭和3年(1928)。「マット水彩」の開発と製造販売の開始は昭和25年(1950)です。商品頁の「マット水彩の歴史」によると、昭和初期に商品化された鉛チューブ入りの透明水彩は、描き間違えると塗り重ねて直せず、小学生には扱いにくいものでした。そのため低学年から中学年まではクレヨンやクレパスを使い、水彩は高学年からという指導が行われていました。戦後の昭和20年以降、使いやすい絵の具が強く求められ、発色を不透明にして子どもが思う通りに描けるようにしたのが「さくらマット水彩」です。

水を多くして薄く溶けば透明水彩のように、少なくして濃く溶けば不透明絵の具のように使える。水加減ひとつで、にじみも、ムラのない塗りも出せました。

机に新聞紙を敷き、バケツに水を汲んでくるところから図工の時間は始まります。廊下を運ぶ途中で水がこぼれ、上履きの先が濡れる。チューブは金属で、押したところがへこんだまま戻らず、指の跡が残りました。ふたを回すと口の周りに固まった絵の具がぽろりと落ちて、かすかに糊のような匂いがする。パレットの小部屋に赤と黄と青を出し、筆でくるくる溶いていると、バケツの水はすぐに灰色へ濁っていきます。空を塗りすぎて山の線が消えたら、乾くのを待ち、白を混ぜて濃く溶いた色を上に重ねる。筆の毛先が紙の上でざらりと重くなり、失敗はその下に隠れました。窓から入る日が画用紙の濡れた部分だけを光らせていて、乾くと色は少し沈みます。ぞうきんで筆を拭った指先は、掃除の時間が来てもまだ青いままでした。

サクラクレパスは1995年、鉛チューブをやめてポリエチレン樹脂のポリチューブへ切り替え、同じ年のうちにラミネートチューブも開発しました。いまのチューブのキャップはヒンジ付きで、上ぶたを開ければ細口、取り外せば大口。へこんだまま残る金属の感触は、もう図工室にありません。平成16年(2004)には木やプラスチックにも描ける「マット水彩マルチ」が出ています。

空の青ばかり減った子、肌色を自分で混ぜようとして白を切らした子、高学年になるまで水彩を持たせてもらえなかった学校。マット水彩のチューブで、あなたがいちばん先に使い切ったのは何色でしたか?

サクラクレパスのマット水彩を思い出す三つの手がかり

  1. サクラクレパスのマット水彩にまつわる場所を一つ思い浮かべます。家、学校、駅前、友だちの家など、名前が出てこなくても構いません。
  2. そこで一緒にいた人と、音・匂い・手触りのどれかを書き添えます。曖昧なところは「たぶん」「覚えていない」で大丈夫です。
  3. いまの自分へ一言だけ残します。正解を書く欄はありません。次に誰かとその話をするときの入口になります。

出典と編集方針

このページは、公開資料で時代背景を確認しつつ、特定の世代の体験を一つに決めつけない読みものとして編集しています。地域や家庭による違いがあります。あなたの記憶と違う箇所は、間違い探しではなく会話のきっかけとして扱ってください。