昭和59年(1984年)ごろのカシオのデータバンク|10件だけの電話番号を手首で選んだ放課後
腕時計に電話番号を覚えさせるという発想は、外回りの会社員のために生まれたといいます。昭和59年〜昭和63年(1984〜1988年ごろ)のカシオのデータバンクについて、発売の年月はカシオの社史で、最初の機種に入った番号の数や、その後の広がりはマイネ王に載ったカシオの技術者へのインタビューで確かめました。

50代の時間軸
カシオの社史「カシオの歩み」の年表は、1984(昭和59)年1月の欄に「電話番号を記憶できるデータバンク腕時計『CD-40』発売」と載せ、同じ年の8月には手書きを認識するデータバンクウオッチ「DB-1000」が続いています。マイネ王の記事で、カシオ計算機の松沢晃一さんは、シリーズの1号機のCD-40が電話番号を10件保存でき、外回りのビジネスパーソンが大事な相手の番号を手元ですぐ分かるようにと発案されたものだと話しています。データバンクのシリーズは1984年から1997年までに約340種類が出たといいます。
松沢さんによれば、ヒットしてからは登録できる番号を少しずつ増やしていったそうです。限られた件数に、部活の連絡網、塾の友だち、よく行く店の番号を入れて、入りきらないものは生徒手帳に書いた。
文字盤の下に並んだ小さなボタンは、指先の腹ではうまく押せず、爪の先で一つずつ押しこみます。押すたびにピッと短い電子音が鳴り、授業中に鳴らして先生に振り向かれる。画面が小さいので、友だちの名前は短く縮めて入れました。放課後、公衆電話の前で手首を返し、灰色の液晶に並んだ番号を一件ずつ送っていく。手首に当たるケースの裏は、体温でぬるくなっていました。夏には、ベルトの内側の汗が気になって、時計を外して机に置いたまま帰りかけたこともある。
1987年には、時計の電話帳からプッシュホンのトーン、いわゆるピポパの音を出し、受話器に聞かせて電話をかけられる「フォーンダイアラー」が出て話題になったと松沢さんは話します。ケータイが出てくると、電話帳はそちらに入るようになりました。いまは何百件の連絡先を持ち歩いても、誰を残すかを選ぶ必要はありません。
昭和59年に高校生だった人が使ったのは、親が出張用に買ったものを譲られた一本だったかもしれません。数年後の中学生なら、誕生日に自分で選んだ色の一本だったはずです。同じデータバンクでも、手に入れた時期によって入っていた名前は違います。データバンクの電話帳に、あなたが最初に打ちこんだのは、誰の名前と、どの家の番号でしたか?
カシオのデータバンクを思い出す三つの手がかり
- カシオのデータバンクにまつわる場所を一つ思い浮かべます。家、学校、駅前、友だちの家など、名前が出てこなくても構いません。
- そこで一緒にいた人と、音・匂い・手触りのどれかを書き添えます。曖昧なところは「たぶん」「覚えていない」で大丈夫です。
- いまの自分へ一言だけ残します。正解を書く欄はありません。次に誰かとその話をするときの入口になります。
出典と編集方針
このページは、公開資料で時代背景を確認しつつ、特定の世代の体験を一つに決めつけない読みものとして編集しています。地域や家庭による違いがあります。あなたの記憶と違う箇所は、間違い探しではなく会話のきっかけとして扱ってください。
- カシオ計算機「カシオの歩み 第2章」
- マイネ王「カシオに聞いた多機能時計の歴史」
- 編集確認日:2026-11-03。出来事の事実確認と、個人の記憶・感想は分けて記載しています。