昭和53年(1978年)ごろの東芝のJW-10|事務机ほどの機械に「ウラニワニニワトリ」と打ちこんだ職場
コンピュータで扱える日本語がカタカナだけだった時代に、読みを打つと漢字が出てくる机が職場に入りました。昭和53年〜昭和57年(1978〜1982年ごろ)の東芝のJW-10を、情報処理学会コンピュータ博物館の解説、電気学会の「でんきの礎」、東芝未来科学館の展示案内で調べています。

60代の時間軸
情報処理学会のコンピュータ博物館によると、JW-10は東芝が開発した初の日本語ワードプロセッサで、1978年9月に発表され、1979年2月に出荷が始まりました。それまでコンピュータで扱える日本語は、特殊な機器を使う一部を除いてカタカナが当たり前だったといいます。10メガバイトの磁気ディスクと24ドットのプリンタを備え、値段は630万円。電気学会の「でんきの礎」は、開発・発売したのを当時の社名の東京芝浦電気とし、事務机ほどの大きさで重さ約220kg、800VAもの電力が要ったと書いています。
打ち方は二通りありました。博物館の解説の例では、「かんじを かんたんに にゅうりょくする」と文節ごとに区切って読みを打つ方法と、漢字にしたい部分だけを指定する方法です。辞書には普通の単語が54,000語、固有名詞が8,000語入っていました。発表のときの新聞は、「ウラニワニニワトリ」が「裏庭に鶏」になる、という例でその実用ぶりを伝えたそうです。
画面は12型で、一度に出る文字は32字×14行。事務室の隅に置かれた大きな机の前に座り、読みを打ちこんで変換すると、画面に明朝体の漢字が並びます。同じ読みの言葉が出ると、候補から選び直す。印字を始めると、プリンタのヘッドが紙の上を往復する、細かく刻むような音が部屋に響きました。800VAの電気を食う機械のそばは、冬でも少し暖かく感じられました。それまで和文タイプライターで一文字ずつ活字を拾っていた人にとって、打ち直しの利く画面は不思議なものに見えたかもしれません。
東芝未来科学館の展示案内は、1972年に京都大学の協力を得て日本語の構造の研究を始めたことが出発点だったと説明しています。でんきの礎によれば、その後ワープロは小さく安くなって家庭にまで広がり、2000年以降は姿を消しましたが、かな漢字変換の技術はいまのパソコンや携帯電話の入力に受け継がれています。
ひと足遅れて入った職場もありました。博物館の解説では、東芝は1980年5月に改良機のJW-10モデル2と普及型のJW-5を発表し、JW-5の値段は260万円からでした。最初の一台を導入した役所や会社と、数年後の安い機種で始めた事務所とでは、漢字の画面に初めて向かった人の顔ぶれも違います。JW-10の画面で、あなたの職場が最初に漢字で打ち出したのは、どんな書類の、どの一行でしたか?
東芝のJW-10を思い出す三つの手がかり
- 東芝のJW-10にまつわる場所を一つ思い浮かべます。家、学校、駅前、友だちの家など、名前が出てこなくても構いません。
- そこで一緒にいた人と、音・匂い・手触りのどれかを書き添えます。曖昧なところは「たぶん」「覚えていない」で大丈夫です。
- いまの自分へ一言だけ残します。正解を書く欄はありません。次に誰かとその話をするときの入口になります。
出典と編集方針
このページは、公開資料で時代背景を確認しつつ、特定の世代の体験を一つに決めつけない読みものとして編集しています。地域や家庭による違いがあります。あなたの記憶と違う箇所は、間違い探しではなく会話のきっかけとして扱ってください。
- 情報処理学会 コンピュータ博物館「【東芝】JW-10」
- 電気学会「でんきの礎」日本語ワードプロセッサ(JW-10)
- 東芝未来科学館 Exhibition Guide「World's First Japanese-language Word Processor」
- 編集確認日:2026-11-03。出来事の事実確認と、個人の記憶・感想は分けて記載しています。