あアノコロ記憶のタイムマシン
50代 ゲーム・遊び

昭和52年(1977年)ごろのバンダイのガシャポン|20円の機械の隣で100円玉を握ってハンドルを回した玩具屋の軒先

ガシャ、ポン。回す音と落ちる音が、そのまま商品の名前になりました。昭和52年〜昭和56年(1977〜1981年ごろ)の店先に置かれたバンダイのガシャポンについて、同社の沿革で参入した年月を、40周年のニュースリリースで100円という値段と名前の由来を、GIGAZINEの記事で後のキンケシの手ざわりを確かめています。

昭和52年〜昭和56年(1977〜1981年ごろ)のバンダイのガシャポンを再現したイメージ。夕方の日が差す小さな玩具屋の前のコンクリートの上に、上部の透明な窓から丸いカプセルの山が見える無地の箱形の自販機があり、前面に銀色の丸いハンドルと硬貨の投入口があって、足もとには二つに割れた空のカプセルが転がっている。
昭和52年〜昭和56年(1977〜1981年ごろ)のバンダイのガシャポンを再現したイメージ。夕方の日が差す小さな玩具屋の前のコンクリートの上に、上部の透明な窓から丸いカプセルの山が見える無地の箱形の自販機があり、前面に銀色の丸いハンドルと硬貨の投入口があって、足もとには二つに割れた空のカプセルが転がっている。(イメージ)

50代の時間軸

バンダイの沿革では、1977年4月の欄に「カプセルトイ市場に「ガシャポン」で進出」とあります。同社が2017年に出した40周年のニュースリリースによると、当時のカプセルの自販機は20円が主流で、バンダイは異例の100円機で参入しました。ハンドルを「ガシャ」っと回すと、玩具の入ったカプセルが「ポン」と出る。その音から自社のカプセルトイをガシャポンと名付けたといいます。カプセルの材料はポリプロピレンとポリスチレンの2種類で、上と下の2つに分かれるものが一般的でした。

硬貨を入れて、ハンドルを回しきる。中身は選べません。窓のいちばん手前にある色を狙っても、出てくるのは奥の見えなかった一つです。隣の20円の機械で先に運を試してから、こちらへ移る子もいました。

機械が置かれていたのは、玩具屋の軒先や、スーパーの出口の脇でした。金属のハンドルは冬になると指に冷たく、回すと中で歯車が一つずつ噛み合う手ごたえが返ってくる。最後のひと押しで、取り出し口にカプセルが落ちる乾いた音がします。拾い上げた丸い殻は手のひらに収まる大きさで、継ぎ目に爪を差しこんでひねると、ぱきっと外れて、新しいプラスチックの匂いが立ちました。出てきた小さな人形を、その場で窓に貼られた見本と見比べる。六年後の1983年に同じ機械からキン肉マンの人形が出るようになると、バンダイの沿革によれば400種類以上が展開され、1987年までに約1億8,000万個が売れました。GIGAZINEの記事は、この「キンケシ」には名前と違って消しゴムの機能がなく、文字を消そうとするとノートと人形の両方が黒ずんだと書いています。

同じリリースが伝える2017年の自販機は、100円から500円までの硬貨を受け付けます。2012年には、同じ素材で上下を一体にしたカプセルも作られました。継ぎ目に爪を立てる手順は、そこにはありません。

ある家では、中身を出したあとの空のカプセルが捨てられず、学習机の引き出しで色ごとに並んでいました。100円の機械が店先に来た年も町によって違い、しばらくは20円の機械しか知らずに過ごした子もいます。ガシャポンの二つに分かれるカプセルを開けるとき、あなたは継ぎ目に爪を立てましたか、それとも両手でひねって割りましたか?

バンダイのガシャポンを思い出す三つの手がかり

  1. バンダイのガシャポンにまつわる場所を一つ思い浮かべます。家、学校、駅前、友だちの家など、名前が出てこなくても構いません。
  2. そこで一緒にいた人と、音・匂い・手触りのどれかを書き添えます。曖昧なところは「たぶん」「覚えていない」で大丈夫です。
  3. いまの自分へ一言だけ残します。正解を書く欄はありません。次に誰かとその話をするときの入口になります。

出典と編集方針

このページは、公開資料で時代背景を確認しつつ、特定の世代の体験を一つに決めつけない読みものとして編集しています。地域や家庭による違いがあります。あなたの記憶と違う箇所は、間違い探しではなく会話のきっかけとして扱ってください。