あアノコロ記憶のタイムマシン
40代 街・暮らし

平成元年(1989年)ごろのスバルのレガシィ|商用バンを持たず、ワゴン専用に作られたツーリングワゴン

レオーネの次の主力として、昭和から平成に変わる年に出た車です。平成元年〜平成5年(1989〜1993年ごろ)のスバルのレガシィについて、SUBARUのニュースリリース2本と同社の歴史ページで、発売の月と車型、名前の意味を確かめました。

平成元年〜平成5年(1989〜1993年ごろ)のスバルのレガシィを再現したイメージ。淡い朝の光が落ちる日本の高原の道の砂利の路肩に、屋根に細いルーフレールが二本ある長い屋根の淡い銀白色のワゴン車が後ろ斜めから見えて停まり、足もとに無地のクーラーボックスとたたんだ毛布が置かれている。
平成元年〜平成5年(1989〜1993年ごろ)のスバルのレガシィを再現したイメージ。淡い朝の光が落ちる日本の高原の道の砂利の路肩に、屋根に細いルーフレールが二本ある長い屋根の淡い銀白色のワゴン車が後ろ斜めから見えて停まり、足もとに無地のクーラーボックスとたたんだ毛布が置かれている。(イメージ)

40代の時間軸

SUBARUのニュースリリースによると、レガシィは従来の主力車種だったレオーネの後継車として、1989年2月に国内市場に導入されました。生産は前年の1988年11月に、群馬製作所矢島工場で始まっています。同社の歴史ページは、元号が昭和から平成に変わる年に、SUBARU初の2.0L車として初代レガシィがデビューしたと書き、名前の意味を「大いなる伝承物」、デビュー時のキャッチコピーを「磨いてきたのは走りです」「もっとクルマになる」と伝えます。車種展開は4ドアセダンとツーリングワゴンの2車型でした。

ツーリングワゴンには商用バンの設定がなく、当初からワゴン専用として開発されました。屋根にはルーフレール仕様も設定され、荷物を載せる場所は車内の外にもありました。

後ろのハッチを持ち上げると、荷室の奥から、少し冷えた空気と車内の布の匂いが出てきます。荷物を積み終えて閉めたドアは、手応えのある重い音で、旅の始まりの合図のようでした。屋根の上のレールに荷物を結わえる人もいて、結び目を何度も引いて確かめる、その指先の感覚まで覚えている人がいます。

今のレガシィと聞いて思い浮かぶのは、アウトバックや、世代を重ねた長い歴史かもしれません。SUBARUは2024年に、初代レガシィが日本自動車殿堂の歴史遺産車に選ばれたと発表し、「日本に本格的なステーションワゴンの市場を確立した」ことが評価されたと伝えています。1989年のレガシィは、その市場の入口に立っていた車です。

1989年の10月には、200psのターボエンジンを搭載したGTが加わりました。発売直後に選んだ家と、GTが出てから選んだ家では、最初の遠出の景色が違ったはずです。レガシィを目にした場所も、通勤の駐車場だったのか、高速道路のサービスエリアだったのか、家の前の路地だったのかで、記憶の色合いは変わります。レガシィのツーリングワゴンの荷室に、あなたの家では最初に何を積んで出かけましたか?

スバルのレガシィを思い出す三つの手がかり

  1. スバルのレガシィにまつわる場所を一つ思い浮かべます。家、学校、駅前、友だちの家など、名前が出てこなくても構いません。
  2. そこで一緒にいた人と、音・匂い・手触りのどれかを書き添えます。曖昧なところは「たぶん」「覚えていない」で大丈夫です。
  3. いまの自分へ一言だけ残します。正解を書く欄はありません。次に誰かとその話をするときの入口になります。

出典と編集方針

このページは、公開資料で時代背景を確認しつつ、特定の世代の体験を一つに決めつけない読みものとして編集しています。地域や家庭による違いがあります。あなたの記憶と違う箇所は、間違い探しではなく会話のきっかけとして扱ってください。