あアノコロ記憶のタイムマシン
50代 ゲーム・遊び

昭和56年(1981年)ごろの任天堂のドンキーコング|スティックとボタンがひとつずつの台で転がるタルを跳んだ一回

昭和56年〜昭和60年(1981〜1985年ごろ)の任天堂のドンキーコングを手がかりに、転がるタルを跳び越えた瞬間を振り返ります。任天堂の沿革と「社長が訊く」、ファミ通の記事で開発の順序を確かめ、ボタンがあったから生まれたジャンプの話から店の手ざわりまでをたどります。

昭和56年〜昭和60年(1981〜1985年ごろ)の任天堂のドンキーコングを再現したイメージ。低いペンダントランプの光の薄暗い喫茶店で、ガラスの天板の下に消えたブラウン管が見える四角いテーブル型の筐体があり、縁の操作盤に短いレバーと丸いボタンが一つずつ並び、天板に白いコーヒーカップと受け皿が載り、クロームとビニールの椅子が二脚添えられている。
昭和56年〜昭和60年(1981〜1985年ごろ)の任天堂のドンキーコングを再現したイメージ。低いペンダントランプの光の薄暗い喫茶店で、ガラスの天板の下に消えたブラウン管が見える四角いテーブル型の筐体があり、縁の操作盤に短いレバーと丸いボタンが一つずつ並び、天板に白いコーヒーカップと受け皿が載り、クロームとビニールの椅子が二脚添えられている。(イメージ)

50代の時間軸

任天堂の沿革は、1981年の欄に業務用テレビゲーム機「ドンキーコング」の開発、販売開始を記しています。ゲームデザイナー宮本茂のデビュー作です。「社長が訊く」で本人が語るには、初めは『ポパイ』を使うゲームのスケッチが社内の承認を得たものの、途中で使えなくなり、オリジナルのキャラクターで作ることになりました。なお稼働開始の正式な日付は不明だと、ファミ通の記事は断っています。

同じ対談によれば、採用した筐体にはスティックとボタンが一個ずつ付いていて、宮本は最初スティックだけで操作するつもりでした。あみだくじのようなスロープをハシゴで登り、転がるタルをよける。基板が画面のスクロールに対応しないとわかって、せめて4面をつなごうと決まります。ファミ通が挙げるステージ名は25m、50m、75m、100m。最後の面だけは鉄骨のボルトを外し、ドンキーコングを落とします。

テーブル型の台に組みこまれて喫茶店の隅にあった記憶を話す人がいる一方、ゲームセンターの筐体を思い出す人もいます。喫茶店なら、ガラスの天板に置いたコーヒーカップが、ボタンを押すたびにかすかに鳴る。うつむいて画面をのぞくと、ペンダントランプの光がガラスに丸く映り、その奥でタルが転がっています。短いレバーを倒す指先と、跳ぶための親指。ハンマーを取ると音楽が変わり、敵を叩く手ごたえが画面の中から伝わるようで、つい振り回しているうちに振り上げた瞬間にぶつかってやられる。コーヒーはいつの間にかぬるくなっていました。テーブルの縁に置いた硬貨が肘で動き、店の人の足音が近づくと、画面から顔を上げて座り直します。

1983年にはファミコン版が発売され、タルは家のテレビでも転がるようになりました。2021年のファミ通の記事の時点で、アーケード版はハムスターの『アーケードアーカイブス ドンキーコング』としてNintendo Switchに配信されています。

先に店で見た人、ファミコンの箱で初めて知った人、ゲーム&ウオッチのほうを覚えている人。ドンキーコングのタルを初めて跳び越えたとき、あなたの手もとにあったのはゲームセンターのレバーでしたか、喫茶店のテーブルの台でしたか?

任天堂のドンキーコングを思い出す三つの手がかり

  1. 任天堂のドンキーコングにまつわる場所を一つ思い浮かべます。家、学校、駅前、友だちの家など、名前が出てこなくても構いません。
  2. そこで一緒にいた人と、音・匂い・手触りのどれかを書き添えます。曖昧なところは「たぶん」「覚えていない」で大丈夫です。
  3. いまの自分へ一言だけ残します。正解を書く欄はありません。次に誰かとその話をするときの入口になります。

出典と編集方針

このページは、公開資料で時代背景を確認しつつ、特定の世代の体験を一つに決めつけない読みものとして編集しています。地域や家庭による違いがあります。あなたの記憶と違う箇所は、間違い探しではなく会話のきっかけとして扱ってください。