あアノコロ記憶のタイムマシン
50代 ゲーム・遊び

昭和59年(1984年)ごろのナムコのドルアーガの塔|宝箱の出し方を書きためたノートが回ってきたゲームコーナー

「グリーンスライムを3匹倒す」。1階の宝箱を出すこの条件を、画面は一度も教えてくれませんでした。昭和59年〜昭和63年(1984〜1988年ごろ)のナムコのドルアーガの塔を、バンダイナムコエンターテインメントの発表にある企画書の日付、ファミ通とGAME Watchが伝える当時の店の様子からたどります。

昭和59年〜昭和63年(1984〜1988年ごろ)のナムコのドルアーガの塔を再現したイメージ。暖かい電球の光が落ちる小さなゲームセンターの奥の隅で、無地の暗い壁の前に象牙色の低い無地のテーブル形筐体があり、盤に玉のついたレバーと丸いボタンが一つあり、木の丸椅子が一つ置かれ、画面は消えている。
昭和59年〜昭和63年(1984〜1988年ごろ)のナムコのドルアーガの塔を再現したイメージ。暖かい電球の光が落ちる小さなゲームセンターの奥の隅で、無地の暗い壁の前に象牙色の低い無地のテーブル形筐体があり、盤に玉のついたレバーと丸いボタンが一つあり、木の丸椅子が一つ置かれ、画面は消えている。(イメージ)

50代の時間軸

最初の企画書は1983年3月25日に作られ、名前は「QUEST」でした。立案者は『ゼビウス』の遠藤雅伸です。バンダイナムコエンターテインメントの発表によると、題は1983年7月9日に「THE RETURN OF ISHTAR」、1983年11月4日に「TOWER OF ANU」と移り、1984年3月10日に「THE TOWER OF DRUAGA」へ落ち着きました。アーケードでの稼働開始は1984年7月。GAME Watchは20日と書き、ファミ通は「稼動を開始したと思われる日」として同じ日を挙げています。

操作は4方向レバーと1ボタンです。ボタンを押すあいだは剣を構えて体当たりで斬り、放すと剣を収めて盾を前に向ける。60階の塔の各階に宝箱が隠れていて、フロア44ではドルイド、メイジ、ソーサラー、ウィザードの順に倒さないと現れません。解法は、ゲームの中のどこにも書かれていませんでした。

店の奥の低い筐体のまわりには、硬貨より紙のほうが多かった時期があります。ファミ通の記事を書いた筆者の通ったゲームコーナーでは、年上の客が集まり、ノートにびっしり攻略情報を書きこみながら遊んでいました。店に置かれた交流ノートでも情報を交わし、筆者自身はナムコの小冊子“NG”に答えが載っていないかと、もらうために駆けずり回ったそうです。電球の熱で乾いたノートは角がめくれ、鉛筆の字が前の人の手の脂でかすれている。階の数字の横に「敵を全部」「壁をたたく」と走り書きがあり、次の人が横線で消して別の条件を足す。丸椅子に座って玉のレバーを押しこむと、軸の小さな音がして、階を上がるたびのファンファーレが店の隅に短く響きました。うしろの誰かが「そこ、もう一回」と声をかけ、失敗すればノートの同じ行に印が増えます。

バンダイナムコエンターテインメントの発表は、携帯電話やSNSがない時代に、ファン活動を通じて面白さが全国へ伝わったと書いています。いま条件を調べるなら、検索して数秒です。2024年に受注が始まった記録全集は書籍4冊で合計1,200ページを超え、遠藤の肉筆の企画書まで読めます。店のノートは、そこに入っていません。

通う店にノートがあった人、兄の持ち帰った“NG”を読んだ人、ファミコン版で家に帰ってから続きを進めた人で、同じ塔の高さの覚え方が違います。ドルアーガの塔の宝箱の出し方を、あなたが最初に知ったのは誰のノートで、どの店の話でしたか?

ナムコのドルアーガの塔を思い出す三つの手がかり

  1. ナムコのドルアーガの塔にまつわる場所を一つ思い浮かべます。家、学校、駅前、友だちの家など、名前が出てこなくても構いません。
  2. そこで一緒にいた人と、音・匂い・手触りのどれかを書き添えます。曖昧なところは「たぶん」「覚えていない」で大丈夫です。
  3. いまの自分へ一言だけ残します。正解を書く欄はありません。次に誰かとその話をするときの入口になります。

出典と編集方針

このページは、公開資料で時代背景を確認しつつ、特定の世代の体験を一つに決めつけない読みものとして編集しています。地域や家庭による違いがあります。あなたの記憶と違う箇所は、間違い探しではなく会話のきっかけとして扱ってください。