あアノコロ記憶のタイムマシン
50代 ゲーム・遊び

昭和59年(1984年)ごろのタミヤのホーネット|空き地の砂ぼこりで後輪のスパイクが白くなった夕方

グラスホッパーから五か月後、同じ1984年の秋に出たタミヤの電動バギーがあります。昭和59年〜昭和63年(1984〜1988年ごろ)のタミヤのホーネットについて、タミヤの製品ページと復刻バギーの特集、DIMEの記事で、登場の順と車体のつくりを確かめ、空き地で走らせた夕方を思い返します。

昭和59年〜昭和63年(1984〜1988年ごろ)のタミヤのホーネットを再現したイメージ。夕方の澄んだ光と砂ぼこりの中、雑草の生えたコンクリートブロック塀のそばの乾いた土の空き地に、無地で薄い黄色のボディの小さなバギーが、太いスパイクの後輪と細い溝の前輪、後ろのモーターとギアボックス、細いアンテナ線を見せて小さな厚紙の坂の近くに止まっている。
昭和59年〜昭和63年(1984〜1988年ごろ)のタミヤのホーネットを再現したイメージ。夕方の澄んだ光と砂ぼこりの中、雑草の生えたコンクリートブロック塀のそばの乾いた土の空き地に、無地で薄い黄色のボディの小さなバギーが、太いスパイクの後輪と細い溝の前輪、後ろのモーターとギアボックス、細いアンテナ線を見せて小さな厚紙の坂の近くに止まっている。(イメージ)

50代の時間軸

タミヤの製品ページは、ホーネットを「1984年にデビューして2WDオフロードカーのブームを生み出した」と紹介しています。DIMEの記事によると、1984年5月に出て大ヒットしたグラスホッパーのチューンナップ版として、同年10月に発売されました。同じ年には『タミヤRCカーグランプリ』の放送も始まり、タミヤの特集によれば昭和59年(1984年)から15年間にわたって放送されました。

買ってきて、まず組み立てます。いま売られている復刻版のページで構成を見ると、リヤはオイルダンパーつきのローリングリジッドアクスル、ギヤボックスは砂や小石が入らない密閉式。前輪は溝のグルーブドタイヤ、後輪はスパイクタイヤです。ポリカーボネートのボディは自分で塗るもので、製品写真にも「組み立て、塗装したものです」と断りがついています。

学校の裏の空き地に、段ボールを斜めに立てかけた坂を作る。プロポのアンテナをまっすぐ伸ばして、「2番入ります!」と声をかけました。当時は同じ番号が重なると電波が混ざるので、確認が先です。スティックを倒すとモーターが細く高い音で回り、後輪のスパイクが乾いた土をかいて、足元まで小石が跳ねてくる。坂で浮いた車体はリヤから落ち、オイルダンパーが沈んでぽんと戻る。ブロック塀の際を曲がり切れず、ボディの角がこすれて、塗ったばかりの色に白い線が一本入りました。走り終えた車体を拾うと、モーターのあたりがほんのり熱く、油と土のまざった匂いがします。バッテリーが弱ると音が低くなり、最後は歩く速さで帰ってくる。後輪のスパイクの溝には白い土がつまったままで、それを古い歯ブラシでかき出すのが夕飯前の仕事でした。

復刻版の1/10RC ホーネットはいまも新品で買えて、タミヤの特集によれば現代のプロポは2.4GHz帯の普及でアンテナが要らなくなり、複数台の同時走行もできるようになりました。声をかけて番号を譲る手順は、もう要りません。

河川敷の土手、団地の裏の駐車場、模型店の小さなコース。走らせた地面が違えば、車体の傷の入り方も違います。友だちの車を借りて一度触っただけの記憶も、同じ空き地の記憶です。ホーネットのポリカーボネートのボディを、あなたは何色に塗って、最初の一走りをどこの地面で確かめましたか?

タミヤのホーネットを思い出す三つの手がかり

  1. タミヤのホーネットにまつわる場所を一つ思い浮かべます。家、学校、駅前、友だちの家など、名前が出てこなくても構いません。
  2. そこで一緒にいた人と、音・匂い・手触りのどれかを書き添えます。曖昧なところは「たぶん」「覚えていない」で大丈夫です。
  3. いまの自分へ一言だけ残します。正解を書く欄はありません。次に誰かとその話をするときの入口になります。

出典と編集方針

このページは、公開資料で時代背景を確認しつつ、特定の世代の体験を一つに決めつけない読みものとして編集しています。地域や家庭による違いがあります。あなたの記憶と違う箇所は、間違い探しではなく会話のきっかけとして扱ってください。